バブル崩壊で迎えた行き詰まり

 こうした状況が変わり始めたのは、80年代のことです。成長企業が国際化を図り、海外進出する流れに日本のメインバンクが十分に対応できなかったところに、金融自由化の圧力による銀行の収益圧迫が重なりました。そうした状況下において銀行は、本筋であったはずの産業金融だけでなく、土地や株への投機に対する融資までをも手がけるようになったのです。バブルの崩壊を機に、こうした融資の取り組みが機能不全に陥り、長きにわたる経済停滞の一因となったとするのが、一般的な見解でしょう。

 高度経済成長期において、銀行や会社はマーケットが伸び続けることを前提に活動していました。売上や利益を伸ばし続けていくことが最重視され、結果として貸借対照表(BS)がどんどん大きくなり、資産効率が悪化していたのです。マーケットが拡大し続ける限りにおいて、BSが大きくなること自体は悪いことではありません。しかし、マーケットの成長が止まり、BSが重すぎると、余分な資産を処分し、整理する必要が出てきます。問題はこうした事態に陥った際に、債務を返済できるかどうかが、銀行側も会社側も十分に検討できていなかった点にあります。その結果、業績が悪くなった会社からの「貸し剥がし」が頻発し、多くの会社が苦しむことになったのです。

 一方で、財務状況が悪化し、過剰な債務を抱えて不良債権化した会社を対象とするビジネス機会は、リスク選好の金融業者にとっては非常に魅力的な市場でもありました。たとえば過剰債務に悩むゴルフ場などには「ハゲタカ」と揶揄(やゆ)される外資系金融機関やファンドが資金を提供しました。日本の銀行が不良債権化した融資先からの債権回収に躍起になっていたのを尻目に、外資系金融機関やファンドなどは、こうした債権を安く買い取り、担保権を実行することで直接不動産を手に入れたり、債権放棄や法的整理の手法を通じてBSを軽くしたりすることで経営を再建し、莫大なリターンを得たのです。背景には、PL脳が染みついた慣行により、日本の金融機関がリスクの高い市場に参入できなかったという事情もあったのでしょう。

 紆余曲折を経て、現在では多くの会社のBSは随分と効率化されました。一方で、経営者や財務担当者の中には、いまだにPL脳にとらわれている人が少なくありません。BSの整理によって、バブル崩壊からの応急措置的な緊急治療はひと通り完了したといえそうですが、多くの日本企業はマーケットが成長しない時代の思考形態に、いまだにシフトできていないのではないでしょうか。

 低成長時代における経営モデルの模索はまだ続いていますが、確実に言えることは、そのカギとなるのが成長を描いて企業価値を最大化するために意思決定する頭の使い方、すなわち「ファイナンス思考」であるということです。