目先の売上・利益にとらわれる「PL脳」は、会社の長期的な成長、ならびに企業価値の向上にとって、明らかに問題があります。では、日本の多くのビジネスパーソンや投資家、メディアはなぜ、PL脳に陥ってしまうのでしょうか。『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』では、私たちがPL脳にとらわれてしまいやすい構造的な原因を、(1)高度経済成長期の成功体験(2)役員の高齢化(3)間接金融中心の金融システム(4)PLのわかりやすさ(5)企業情報の開示ルール(6)メディアの影響、という6つの点から考えていますが、ここでは「(3)間接金融中心の金融システム」がもたらす問題を考えていきます。

 間接金融中心の金融システムが、日本の企業風土にPL脳を浸透させていくうえで、大きな影響を及ぼしてきた点を考えるにあたって、まず現代の日本企業の行動原理や経済にまつわる制度の特色の源流は、戦時体制下の統制経済にあるという点を理解しておく必要があります。

日本の経済制度の特色は戦時体制の統制経済下でつくられた(写真はイメージです)

 日本の企業文化における主な特徴として、終身雇用や年功序列といった雇用慣行、民間の経済活動に対する官僚の介入、株主支配に対する軽視の風潮といった点が挙げられます。これらは、えてして日本固有の文化に由来すると考えられがちですが、実際には戦時中に日本国がアジア太平洋での総力戦を遂行するために人為的に導入された制度によるものです。こうした統制経済によって取り入れられたシステムの最たるものが、間接金融中心の金融システムです。

 ここで「統制経済」と呼ばれるシステムが構築された経緯について、簡単に触れておきましょう。統制経済は、国の資源と労働力のすべてを戦争のために動員することを目的として、「革新官僚」と呼ばれた官僚たちを中心に構築されたシステムです。1938年に「国家総動員法」が制定されていますが、これは国内のあらゆる経済活動に対して政府が介入することを可能にする法律でした。この国家総動員法によってその後、さまざまな勅令が発せられていきます。

 たとえば39年には、初任給が公定されることになりました。また従業員全員を対象にした一斉昇給を除いては、昇給は認められなくなっています。こうした過程を経て、年功序列賃金が日本社会に定着していったのです。

 また株主に関しては、配当が制限されることになり、株主の権利が制約されるようになりました。国民生活が圧迫される中で、高い配当性向は所得分配の観点から望ましくないと考えられたのです。その結果、株価が低迷したこともあり、資金調達の中心が直接金融から間接金融に移っていったのです。実際、31年におけるフローベースの産業資金供給を見てみると、87%が直接金融によるものであり、30年代の日本企業による資金調達は、エクイティ・ファイナンスによるものが相当の比重を占めていたことがわかります。

 さらに40年に発足した第2次近衛文麿内閣は、「利潤追求を第一義とする資本の支配より離脱する」として、「経済新体制」を掲げました。経済新体制では戦争の遂行が最重要事項とされ、政府による命令を通じて生産の数量ノルマを課す体制が整えられました。また同時に、労働者を大日本産業報国会に加入させることで、経営に対する発言権を強め、株主の権利を制限したのです。

 日本の敗戦後、占領軍による「戦後改革」を経て、日本社会の仕組みは大きく変わりましたが、経済官庁をはじめとする官僚機構はほぼそのままに温存されました。結果、統制経済を指導した官僚たちが引き続き、計画経済的な観点に立って産業政策を牽引し、官僚主導の産業政策、日本特有の雇用慣行、株主軽視の風潮、間接金融中心の金融システムといった統制経済時のシステムが継続していったのです。戦後の日本経済は、主に重化学工業、輸出産業によって牽引されていますが、特にこうした産業の成長には日本型企業の構造や間接金融が大きく寄与しています。「太平洋戦争の遂行」と「高度経済成長期の企業経営」は、国家総動員体制であったという点においては共通していたのです。

 こうした統制経済の影響を現代においても色濃く受け継いでいるのが間接金融です。日本における企業の資金調達の手段として通常真っ先に想起されるのは、銀行からの借入です。日本人の貯蓄率の高さから考えても、銀行は古くから資金提供の中心的なプレーヤーであったととらえがちですが、間接金融中心の金融システムもまた、軍需産業に対する資源の傾斜配分を目的として戦時中に整備が図られたのです。

 さて、こうした歴史的経緯によって、銀行は戦後日本における資金供給の中心的な担い手となり、会社の経営に対する関与を深めていきました。特に高度経済成長期には銀行からの貸出が増え、「銀行支配」と呼ばれる状況が出現するようになったのです。

 高度経済成長期には、会社は事業に投資する資金を必要としました。理屈のうえでは、リスク性の高い投資であればエクイティでの調達を行うべきですが、銀行を中心に金融システムが発達し、何よりも銀行がお金を貸してくれる事情もあり、当時は銀行からの借入が資金調達の中心でした。銀行に返済するお金までも、借り換えによって銀行から調達し、実質的に利息を払わなくてもよい状態が続いていたのです。

 こうして、主要取引銀行が中心となって会社の成長に合わせたシンジケートローンをタイムリーに組成するメインバンク制は、日本の戦後復興や高度経済成長の原動力となりました。長期的な関係に基づき、バンカーが事業内容を深く理解したうえで、長期的な視座に立った資金提供を行うことで、銀行は産業金融の本旨を全うしてきたのです。

銀行内審査ではいまだに最終損益が重視される

 デットであれエクイティであれ、資金を調達するためには、その資金の出し手と対話を行う必要があります。このコミュニケーションが、銀行のほうがやりやすかったといったことも、企業がデットを優先した理由のひとつでしょう。エクイティでの資金調達の場合であれば、投資家からどのタイミングでどれくらいのリターンを上げるのか、説明を求められます。ここでしっかりと説得力のある計画を提示できないことには、株価が下がってしまいます。

 デット調達とエクイティ調達の本質的な違いは、前者は債権者が金利からリターンを得るのに対し、後者は株主が会社の成長に伴う株価の上昇や配当によってリターンを得るという点です。株主は会社が成長しないことにはリターンを得ることができません。そうであるがゆえに、経営者に対し、積極的な投資などの成長施策を望むのです。一方の債権者は、どれだけ会社が成長したところで、得るリターンは変わりません。そのため、リスクを冒してまで会社の成長を望まないのです。金利を支払うだけの安定した利益が出ることを良しとする発想です。

 そのため、高度経済成長期に銀行から借入を行うに際して重視されていたのは、売上や利益が伸びているかどうかでした。売上・利益が伸びている限りにおいては、微に入る細かな説明を行う必要もありませんでした。成長している会社であればお金を貸すというスタンスであるため、銀行も審査を綿密に行っていなかったのです。市場が拡大することを前提とした高度経済成長期であれば、そこまで綿密に借り手の収益力を検討する必要性がなかったといえるのかもしれません。

 また、個人はお金を積極的に運用するよりも、銀行に預けるのが一般的であったため、銀行から見れば資金を集めるコストが安かったことも、積極的な貸出が行われていたことの理由のひとつでしょう。当時の銀行にとっては、会社に対する貸付残高を増やすことが何よりも重要だったのです。

 こうした資金調達時の状況もあって、デットによる資金調達に際し、企業側からすればPL脳的なコミュニケーションでも十分に間に合っていたということが、経営者や財務担当者にPL脳が染みついていった原因でもあるのでしょう。売上や利益が伸びてさえいれば、事業見通しに基づいたリターンについての論理的な説明を必要としないため、ファイナンス的な観点はそれほど必要とはされていなかったのです。

 銀行のコベナンツ(融資契約などにおける誓約事項)にしても、一番重要な条件は、最終損益が何期連続で赤字か黒字かであるかであり、キャッシュフローではなく、PL上の数値で判断を行っています。近年ではEBITDAも見られるようになってきましたが、銀行の基本的な発想は、貸し付けたときよりも業績が悪くなっていないかであり、売上や営業利益が昨年対比でよければいいという考えに終始しているのです。

 銀行内の審査において、最も厳格にモニタリングされる会社の項目は最終損益です。一定期間、最終損益が赤字になると、銀行はその貸付先を要管理先として、引当金を計上しなくてはなりません。これが企業の財務担当者が借入をしている銀行の担当者から2期連続の赤字は阻止するようにと言われる背景です。貸し手である銀行が、貸出先の安全性を重視して最終損益を注視するPL脳であるがために、借り入れする企業の側もまたPL脳に染まってしまうのでしょう。