先行品が支持得られずも
消せる機能の需要を確信

 しかし、筆記具への応用には大きな壁があった。筆記具のインクは、そのままの状態で数年間は組成が変わらない安定性を求められる。通常のインクより組成が複雑なメタモカラーは、熱変色性を長期間維持するのが難しかった。

 また、組成を安定させるには、前出の三つの成分を含むカプセルはある程度の大きさが必要だった。大きいカプセルでは、ペン先のように狭い隙間からは出せない。

 そして最大の課題は、熱変色の温度にあった。当初は30度まで温めると色は消えたが、それよりも少し温度が下がっただけで色が元に戻ってしまったのだ。

 筆記具メーカーとして、中筋を中心とした開発部隊は筆記具への応用を目指しつつ、当時のメタモカラーで製品化できる商材も探した。温度によって色の変わる食器や玩具の用途として使われる時期が長らく続いた。

 86年に千賀が入社したころも、その真っ最中。メタモカラーの研究室は、当時は「第4研究室」という名称で、「いわゆる“花形”部署ではなかった」(千賀)。

 パイロットはフリクションボール以前にも、消せるボールペンを発売したことがある。メタモカラーの仕組みと異なり、インク自体を消しゴムで物理的に紙から剥がし取るものだ。微妙にインクが残ってしまい、機能面で消費者の支持を得られなかった、苦い経験である。

 とはいえ、発売当初の話題性は相当なもので、消せるボールペン自体に対する需要は高いと、営業側は確信した。

 2000年前後、メタモカラーを筆記具に応用するための技術的な課題も克服されつつあった。中でも熱変色の温度の幅を広げることに成功したのが大きかった。60度以上で色が消え、マイナス20度前後にまで冷えなければ色は元に戻らなくなったのだ。

 営業側からの提案もあって、03年にメタモカラーを使った消せるボールペンの開発が始まった。

 しかし、すんなりとはいかなかった。製品化の過程で、またしても組成の安定性という壁に阻まれた。1トンという工場の大容量タンクでいかに組成を安定させるか。加えて「青系の色が発色できないことも明らかになった」(千賀)。

 研究所と工場を往復しながら温度、攪拌時間や速度など、最適な化学反応条件を探すためのトライ&エラーが続いた。

 筆記具として製品化可能なフリクションインキが完成したのは05年。メタモカラーの開発から実に30年がたっていた。