では、一部の植物状態の患者に意識があることなどいったいどうやってわかるというのだろうか。もちろん患者たちは、自らの身体を使ってそれを示すことはできない。だが、たとえ身体にはできなくても、脳ならできるのではないか。脳なら、自らの意識がそこに閉じ込められていることを示すことができるのではないか。いうなれば「身体に訊いても駄目なら脳に訊いてみな」というのが、ここでの基本的なアイデアである。

「意図の存在を実証できれば、
意識も存在すると推定できる」

 オーウェンは1997年から植物状態の患者に脳スキャンを行っている。その最初の患者がケイトで、それまで彼女は認識能力をまったく持たないとみなされていた。そこでオーウェンらが行ったのは、家族や友人の顔写真を彼女の目の前に置き、そのときの脳の活動を調べるという試みである。するとなんと、彼女の目の前に顔写真を置いたときに(そしてそのときにのみ)、人の顔に対して選択的に反応する脳の部位(紡錘状回)がしきりに反応したのである。そう、彼女は人の顔を認識できていたのだ!

 この驚きの発見はニュースとして世界を駆け巡り、オーウェンは一躍「時の人」となる。だが彼はその結果に飽き足ることなく、さらなる探究を進めていく。脳スキャンを用いた同様の、しかしそれぞれに工夫を凝らした実験によって、オーウェンたちはさらに次のことをも示していったのである。すなわち、植物状態の患者には音声を検知できる人がいること(第4章)と、その音声の意味を理解できる人もいること(第6章)である。

 さて、以上のことが示されたとすれば、それらの患者には意識があるといえるだろうか。いや必ずしもそうではない、とオーウェンは慎重に考える。というのも、先の実験で見られた脳の活動はあくまでも自動的な反応で、そこにはなんら意識が伴っていない、という可能性も考えられるからである。ならば、意識の存在(あるいは不在)はどうやったら証明できるのか。

 その点に関してオーウェンはじつにユニークかつ巧妙な方法を思いつく。ポイントは、患者から「意図的な反応」を引き出すことにある。つまり、彼らがそうしようと決定したからこそ生じた反応(具体的には特定の脳活動)を引き出すのである。もし、そのように意図的な決定がなされている証拠を挙げることができれば、それはまさに、彼らに意識があることの証拠となるだろう。「意図の存在を実証できれば、意識も存在すると推定できる」というわけだ。

 そう考えてオーウェンたちが具体的に行ったのは、患者に次のような課題を与えることである。すなわち、「テニスをしているところを想像してください」という課題と、「自宅で歩きまわっているところを想像してください」という課題である。健常者がそれぞれの場面を想像するとき、脳の特異な領域(前者の場合は運動前野、後者の場合は海馬傍回)がそれぞれ活性化する。そして、植物状態の患者にふたつの課題を与えたところ、なんということだろう、実際にそれらの領域が活性化したのである。とすれば、患者は課題に対して意図的に応じたのであり、それはつまり、その人に意識があることの証しではないか!