なぜ「みんなで話し合う組織」ほど、判断を誤ってしまうのかみんなで話し合って決めることには、実は意外な危うさが伴うことが少なからずある(写真はイメージです) Photo:PIXTA

このところ、データ改ざんなど企業の不祥事報道が後を絶たない。その背景には経営の効率性を重視しすぎるあまり、現場に経営者からの利益追求のプレッシャーがかかり、品質が軽視されていることにあるようだ。その結果、誠実かつていねいな仕事にこだわるといった日本人の働き方の伝統が壊されてしまったのである。その中で今回、日本の組織特有の「みんなで話し合って決める」問題について考えてみたい。(心理学博士、MP人間科学研究所代表 榎本博明)

 このところデータ改ざんなど企業の不祥事が相次いで暴かれている。その背景には経営の効率性を追求しようと、成果主義に走りすぎているといった事情がある。

 不祥事の報道を見ていると、現場では高品質、低コスト、納期厳守と言われつつも、経営者からの利益追求のプレッシャーもあって、品質が軽視されているようだ。それにより、誠実かつていねいな仕事にこだわるといった日本人の働き方の伝統が壊されてしまったのである。

 その中で今回は、日本の組織特有の「みんなで話し合って決める」という議決方式について、どこが問題なのかを考えてみよう。

みんなで話し合うことは、
本当に合理的なのか?

 私は、常々会議というものの存在意義に疑問を持っていた。なぜなら若い頃から会議というものが苦手で、延々と続く話し合いにまともに参加するとイライラしたり目まいがしたりするからである。気持ちを落ち着かせようと、私は抱えている仕事にまつわる考え事に集中したり、たびたびトイレに抜け出したりしたものだった。

 ちなみに私の所属先は大学。どんな運営をしたところで、急に儲かるようになることもなければ傾くこともない組織だったこともあり、緊張感のない間の抜けた会議が多かったからかもしれない。