和顔愛語にして
「和顔愛語(わげんあいご)」は、辞典ではこのように説明されています。
やわらかな顔色とやさしいことば。やわらいだ笑顔をし、
親愛の情のこもったおだやかなことばをかわすこと。
なごやかな顔、愛情あることばで人に接すること。
中村元著『広説佛教語大辞典/下巻』(東京書籍)
『無量寿経(むりょうじゅきょう)』の中には、「和顔愛語にして、意を先にして承問す」とあります。つまり、「相手の身になって和やかで穏やかな笑顔と慈愛に満ちたあたたかい言葉を発し、相手の気持ちを推し量って先んじて動くこと」という意味です。
日常の生活、家庭や学校、職場で、いつもこのような態度がとれると最高ですね。ただこのような「和顔愛語」の姿勢を維持するのはなかなか難しく、常に上機嫌であることが求められます。
上機嫌の作法
明治大学の斎藤孝教授が書いた『上機嫌の作法』(角川oneテーマ21)には、不機嫌さは「なんらかの能力が欠如しているのを覆い隠すため」であり、「不機嫌であることが、あたかも威厳があり、知的であるかのように思うのは大きな勘違いです」とありました。いつも不機嫌な表情をしている人たちにとっては耳が痛いですね。
この本では続けて、「仕事ができる人には、上機嫌な人が多いものです。本当にできる人は、テンションが高くて上機嫌、一つずつの動作、話すテンポが速いのです」と指摘していました。
そもそも、世の中に一人で完結する仕事などはありません。チームや組織の中で上機嫌でいることは周囲のパフォーマンスを高めることにもつながります。そのような観点からすると、いつも仏教的な「和顔愛語」の姿勢を保つということは、置かれている環境(職場・学校・家庭)の中で自己のパフォーマンスを最大限に発揮するための大変有効な方法ともいえるでしょう。
ウルフルズも「笑えれば」という歌の中で上機嫌の作法について歌っています。
「答えのない毎日に ハハハと笑えれば」と。
ぜひ、いますぐ心がけてみましょう。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)