超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生!その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

「カネのないやつはゴミだ」と豪語する凄腕投資家の仕事場は、まるで刑務所の独房

第3章 傲慢な投資家(8)

前回まで]謎の投資家・城隆一郎の取材におもむいたフリージャーナリストの有馬浩介は、逆に自らの経済的困窮を取材されてしまう。すると城は有馬に報酬200万円である企業を調べてほしいと言い出す。取材対象はEVに革命をもたらすリチウム電池を開発したとされる注目のベンチャー企業だった──。

 ***

 城はなんの気負いもなく、全世界の自動車業界をひっくり返すようなすごいことを明言する。

「トヨタに日産、VW、GМ、フォード。世界の巨大自動車メーカーが揉み手をしてすり寄り、軍門に降ることになる」

 そんな大げさな。が、城の顔は真剣だ。

「それゆえ、どこまで信用していいのか、黒崎の人物像も含めて調査してもらいたい」

 信用?ぴんとくるものがあった。たしか『テスラ』はイーロン・マスクが世界を回ってその革新性、将来性を喧伝、投資という形の莫大な資金をかき集めている。そして城は投資家だ。有馬は勢い込んで問う。

「投資対象にふさわしいか否か、を調べたいのですね」

 城は肯定も否定もせず、傲然と言い放つ。

「投資の世界で生きる人間にとって情報は命だ。生の一次情報、マスコミに出ないオリジナル情報ほど価値が高い。おまえが投資家になったつもりで調査してみろ」

 有馬は鼻で笑い、返す。

「あいにくそんな金持ちじゃありません」

 札束をポケットにしまい、「分相応、が座右の銘なもので」と告げ、ソファから腰を上げる。リビングを見回し、城に視線を投げる。

「仕事場、どこです?」

 返事なし。有馬はさらに言う。

「ファンドを解散して以降、数百億の個人資金を動かすという仕事場ですよ。見せてください」

「なぜだ」

「おれは元ブンヤです。カネはないが、好奇心は常に満タンです」

 そう、尽きせぬ好奇心だけが頼りだ。

「あなたの素顔を少しでも知りたいんだ。おれの大事な雇い主でもあるし」

「いいだろう」と城はひと言。

 リビングの先、廊下を隔てて樫板の分厚いドアがあり、その奥が仕事場だった。12畳ほどの窓のない密室。天井と壁に間接ライト。床に淡いグリーンのカーペット。カッシーナのデスクとメッシュチェア。デスクにパソコンとモニター二面、サブデスクにプリンター。それだけ。ファイルケースも書棚もない。シンプルの極致だ。

「殺風景だろう」

 いや、まるで刑務所の独房。殺風景というよりは殺伐といったほうが的確かと。

「こんなもんだ」

 城はドアを閉め、さっさとリビングに戻る。陽が翳り始めた薄暗い空間でふたり、立ったまま向き合う。有馬はかぶりを振る。

「パソコン、モニターがずらっと並んでいるのかと思ったけど、違うんですね」

映画やテレビで見るディーリングルームを想像していた。10面近いモニターが整然と並び、パソコン本体3、4台に、外付けの大きなハードディスク、電話につないだインカムが備わった、ジェット旅客機のコックピットのような空間だ。

「それは日々の株の売買が生業のディーラーだろう。おれは投資家だ。短期の株の売買もやるが、メインはあくまでも長期の投資だ」

 城は、呆れた、と言わんばかりに言葉を重ねる。

「ディーラーと投資家の区別もつかないのか」

「金融市場でカネ儲けをするという点は同じでしょう」

 有馬はしれっと返す。

「汗もかかず、濡れ手で粟の大儲け。なんの生産性も社会貢献もなく、ただデジタル化された金融の世界の数字をいじって莫大なカネを得る──個人投資家やファンドマネージャー、ディーラーへの世間一般のイメージはそんなもんです」

「おまえもカネが欲しいんだろう」

 ストレートな問いかけだった。返答に窮していると、鋭い二の矢が飛んでくる。

「カネがあればいまのみじめな生活から抜け出せる。読日新聞を辞めたおまえが四面楚歌の悲惨な状況に陥ったのもカネがないからだ」

 傷口に塩を擦り込む痛烈な言葉だった。反論の余地はない。が、このまま押しまくられるのも癪にさわる。

「ずいぶんと儲かってますよね。純粋な資産は100億単位、それとも1000億を超えてますか?」

「おれがいくら稼ごうと、おまえには関係ない」

 声のトーンが少々苛立っている。有馬はさらに質問を重ねる。

「あなたがカネを稼ぐ目的はなんです? 10回生まれ変わっても遊んで暮らせるくらいは貯まったでしょう」

 カツカツの耐乏生活を送るフリー記者と、大富豪の個人投資家。これだから取材は面白い。セレブも政治家も連続殺人犯も、取材の場では同等だ。取材者はだれとでも対等に接する。ときに挑発することも辞さない。このように。

「城さん、あなたの金銭哲学を教えてくださいよ。あれば、だけど」

 目に怒りの色が浮かぶ。が、それも一瞬でかき消える。強靭な自制心と鋼の心。城は答える。

「自由が欲しいからに決まってるだろう」

 おまえはアホか、と言わんばかりだ。

「カネと自由は同義だ。カネさえあれば、上意下達の愚かな組織に属することも、間抜けな他人に頭を下げる必要もない。おれは本物の自由が欲しいからカネを稼ぐ」

「ファンドの解散も自由が目的ですか」

「そうだ」あっさり認める。

「銀のスプーンをくわえて呑気に生まれ、親の莫大な資産、会社を引きついだだけのわがままな富裕層連中にあれこれ指図されるのにもいいかげん飽きてな。ああいう愚かな連中とのつき合いは、イコール忍耐とストレスの連続だ。ファンドはおれの元手を増やす手段にすぎなかった。カネはカネを呼ぶ。元手が大きいほどリターンも大きいからな」

 語りながら声が太く、顔が上気してくる。孤高の凄腕投資家らしからぬ饒舌に耳を傾けつつ、有馬はこの男の過去を思った。

 一家離散の悲劇と、苛酷な少年時代。中学卒業と同時に自立し、独力で道を切り開いた闘志と、底知れぬハングリー精神──。城隆一郎がどのような半生を送ってきたのか、無性に気になる。

「資本主義社会で生きる人間はカネさえあれば無制限の自由を手に入れられる。その逆もまた真なり。カネのない人間は一生、他人の奴隷になるしかない」

 おまえのように、と言いたげに見下ろしてくる。表情が変わる。ほおがゆがみ、唇が吊りあがる。青白い怒気をはらんだ獣の形相が現れる。有馬は気圧され、半歩下がる。

「カネのないやつはゴミだ」

 城はこの世を司る神のごとく断言する。

「才能と野望のないやつはとっとと消えろ。邪魔だ」

 押し寄せる憎悪になぎ倒されそうだ。が、自分は取材者。肩をねじ込むようにして押し戻す。

「その憎悪の根源は──」

 指を突きつける。

「あなたの少年時代にあるのですか」

 ほおが不快げにゆがむ。反応あり。もうひと押し。

「一家離散し、親戚の家をたらい回しにされたという不幸な少年時代です」

 城は、どこでそれを、とひび割れた声を絞る。有馬は毅然と胸を張って言う。

「おれはジャーナリストだ。取材のプロだ」

 誇りを込めた言葉だった。が、城は眉間に筋を刻み、険しい形相ではね返す。

「食い詰めたフリーが、偉そうなことを抜かすな」

 なんだと。

「さっさと『ミラクルモーターズ』を取材してこい。手付金100万を受け取ったんだ。契約は成立したぞ。おまえもプロなら実力で雇い主のおれを黙らせてみろ。大口を叩くのはそれからだ」

 すっと右腕を伸ばし、玄関を指さす。

「出て行け。成果を見せろ。おれは忙しいんだ。カネを払って雇った使用人のくだらん御託になど、つき合っているヒマはないっ」

 有馬は、ぐうの音も出ないまま、背を向け、玄関ドアを開け、モーツァルトのピアノソナタが流れる廊下を駆けた。

(第3章終わり、第4章に続く)