超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

第3章 傲慢な投資家(7)

前回まで]謎の投資家・城隆一郎を取材するため彼の自宅を訪れたフリージャーナリストの有馬浩介は、城と兵頭圭吾の関係を聞き出そうとする。だが城は傲慢な態度でそれをかわしながら、逆に有馬が新聞社を辞めた理由を問い質す。問われるままに新聞業界の厳しい現状を語る有馬だったが──。

 ***

 城はばっさり斬って捨てる。

「おまえが見下した転職先だが、立派なキュレーションメディアだろう。短い雑多な記事に若い層のニーズがあり、相応の広告が入り、利益が出ているのなら上等だ。大新聞の建て前と偽善に満ちた社説など、若い連中はカネをもらっても読まないぞ。長い、小むずかしい、上から目線、時間の無駄──読まない理由は両手の指にあまるが、読むべき理由はゼロだ。ビジネスとしてとっくに終わっている。過去の栄光が忘れられない新聞社の自己満足、マスターベーションだな」

 いや、それはジャーナリズムというものがわかっていない素人の意見であり──。

「読者は全員、ド素人だ」

 有馬はうなだれ、ただ聞き入った。

「ジャーナリズムだの正義だのは後からついてくるんだ。まずはカネを払って記事を読んでもらい、利益を出さなきゃ話にならない」

 正論だ。食えてこそビジネス。

「読日を見切り、飛び出したはいいが、新たな組織に尻尾を振り、当てがはずれて愚痴三昧。愚かにもほどがある。産業革命以来の大変革期を迎えた、パラダイムシフトの時代がまったく見えていない。30も半ばになってその程度じゃお先真っ暗だな。フリーは個人事業主だぞ。オリジナルの武器を持たずに食えるはずがない。仕事がないのも当然だ」

 全身から血の気が引いていくのがわかった。フリーになって1年と半年。事件記事を書こうにも、硬派の雑誌は休刊という名の廃刊が相次ぎ、壊滅状態。ならば、と腹をくくり、出版社や編集プロダクションを回り、「なんでもやります」と頭を下げ、仕事を取っても、愚にもつかぬ企業の提灯記事ばかり。かといって1冊の事件ノンフィクションを書き上げるほどの筆力も資金もない──愚痴だ。ぜんぶ負け犬の愚痴だ。

「おいおい」城が苦笑する。

「ひとん家で泣くなよ」

 あわててハンカチをひっぱり出し、目をぬぐう。ああ、情けない。とことんダメなやつ。これで二度目だ。セレブパーティでは寿司食って泣いたし。どん底に落ちた敗残者だな。

 広々としたリビングに春の昼下がりの柔らかな光が射し込む。大富豪のカリスマ投資家が淡いシルエットとなる。有馬は目を伏せた。来るんじゃなかった。貧しいフリーの物書きが対抗できる男じゃない。後悔という名の槍が胸に深々と突き刺さる。

「仕事をやろう」

 重いバリトンが響く。

「有馬、おまえに仕事を依頼する」

 フリーの物書きが投資家の仕事を? 顔を上げる。城の鋭い視線が有馬を射抜く。

「ベンチャー企業の内情を調べてもらいたい」

 投資家はクラッチバッグから札束を取り出す。ごくり、とのどが鳴った。帯封つきのピン札。

「100万、ある」

 黒檀のテーブルにむぞうさに放る。

「手付金だ。成功報酬として残り100万」

 つまり、計200万。札束に目が吸い寄せられてしまう。干天の慈雨。地獄で仏。闇夜の明かり。

「調査先のベンチャー企業は──」

「待ってください」

 有馬は元読日社会部記者にしてフリージャーナリストの意地を込めて返す。

「まだ決めたわけじゃない。そう一方的に進められても困る」

 城は冷たい目を据えて言う。

「椎名マリアから聞いたぞ。ずっとヒマなんだろう」

 首筋が炙られたように熱くなる。

「ヒマなら四の五の言わずにカネを稼げよ。おれならそうする」

 有馬は渇いたのどを絞る。

「あんたの指図は受けない」

「読日の元社会部記者と見込んで発注する仕事だ。切った張ったの取材経験がない人間には任せられない」

 わずかに残ったプライドをくすぐり、承諾させようって魂胆か? そうはいくか。が、次の言葉に身体が固まった。

「兵頭に関係のある案件だ」

 兵頭圭吾に? 有馬は問う。

「パーティではそのベンチャー企業のことを?」

「そうだ。実にユニークな企業でな」

 城がぐっと顔を寄せてくる。熱が迫る。おまえ、と低い声が這う。

「今日は取材が目的だろう。伝説の投資家とか煽って、どこかのイエローペーパーにヨタ記事を書くために」

「書くかどうかは、あなたの話を聞いたうえで筆者のおれが決めます。いまは前取材の段階です」

「なるほど」

 城は余裕たっぷりに告げる。

「そもそも、兵頭のことが気になって始めた取材だろう。ならばかたくなに拒否する理由はないと思うがね」

 実に論理的だ。3秒ほど考え──、いや考えるふりをして右手を伸ばす。テーブルの100万円をつかむ。ずっしりと重かった。

「やりましょう」

 瞬間、視界がぱあっと開けた。全身を覆う重苦しい霧がどこかへ吸い込まれ、消えていく。

「そうこなくては」

 城が唇をゆがめて冷笑する。賽は投げられた。とっくの昔に消えたはずの熱が、身体の芯からふつふつと沸いてくる。

 調査先のベンチャーは『ミラクルモーターズ』。もともとは左前の中堅自動車部品メーカーで、3年前、プロ経営者の黒崎宏が買収して再建。排ガスゼロのエコカー、EV(電気自動車)の開発に乗り出し、〈戦後の焼け跡から立ち上がったソニー、ホンダの再来〉と謳われる大注目のベンチャー企業なのだという。

「黒崎は高らかに“未来の自動車のメインストリームとなるEVに革命をもたらす”、と宣言し、実際に結果を出してきた自動車業界の革命児だ」

 城は野心的なベンチャーの詳細を簡潔に、わかりやすく説明してくれた。有馬は取材手帳にメモしながら、新聞記者に戻ったような興奮を覚えた。

手帳に文字を刻むペンの音と、心身がヒリつく快感。改めて、自分は生粋のブンヤと思い知る。

 現在、排ガスゼロの純粋なエコカーは2種しかない。EV(電気自動車)とFCV(燃料電池自動車)である。EVは電池に充電してモーターで走行するクルマ。FCVは水素カーのことで、水素と酸素の化学反応で電気をつくる燃料電池を搭載し、これもモーターで走行。排出するのはCo2ではなく水である。

 肝心の走行距離は、EVが1回の充電で300キロ程度だが、FCVは1回の水素充填で倍以上の650キロを超える。しかし、水素は電気と違って貯蔵がむずかしく、引火しやすい。加えてガソリンスタンドに代わる水素ステーション設置は莫大な費用を要し(ガソリンスタンドは1ヵ所1億円程度だが、水素ステーションは5億円前後)、FCV普及に必須のインフラ整備がまったく進んでいない。

 EVとFCV。総合的に見てEVが有利であり、事実、世界のエコカーの主役はEVに決定したといっても過言ではない。ところが、ガソリンカーを完全に駆逐するには走行距離が致命的に短い。加えて充電も急速充電器なら30分程度だが、通常の充電器だと7~8時間を要する。

 この重大な弱点を克服しつつあるのが『ミラクルモーターズ』なのだという。問題解決の決め手は電池の性能にあった。城が説明する。

「黒崎率いる一騎当千のエンジニア集団は従来のリチウム・イオン電池の5倍から10倍の能力を誇る、リチウム・オキシジェン電池の開発に邁進。この次世代の革命的電池は熱効率の悪さがネックとなり、実用化にいたらなかったが、黒崎はこう明言した」

 ひと呼吸おいて言う。

「われわれはエネルギーの3分の1が熱となって放出し、電池寿命が極端に短くなってしまうという致命的弱点を克服。実用化に成功し、1回の充電での走行距離も飛躍的にアップした、とな」

 リチウム・オキシジェン電池とは、世界中のメーカー、研究所が開発に鎬を削る全固体電池の一種だという。ちなみに全固体電池はリチウム・イオン電池の電解質を液体(電解液)から固体に代えたものであり、実用化されると液漏れや発火の恐れがなくなり、分単位の高速充電も実現。加えて電池寿命と走行距離も飛躍的にアップする究極の電池とか。城は解説する。

「安全性が格段に高まることで安全確保のための堅牢なパッケージや冷却装置の簡素化が可能になり、1台で200キロを超える電池の重量を3分の2以下に軽減できる。同時に、電解液では使えなかった出力電圧の高い各種化学物質が使用可能となり、画期的な電池の軽量化とあわせて寿命、走行距離は飛躍的に向上するわけだ」

 日本のメーカー各社は固体電解質に硫化物を採用し、研究開発を進めているが、『ミラクルモーターズ』のリチウム・オキシジェン電池の固体電解質は酸化物である(オキシジェンとは英語で酸素の意)。

 城は縷々説明する。

「硫化物は万が一、水分に触れると毒ガスの硫化水素が発生するが、酸化物だとその危険性がいっさいない。一方、酸化物は熱効率の悪さに難があり、これまでメインになりえなかった。その重大な短所を独自の技術で克服し、『ミラクルモーターズ』はまったく新しい次世代電池、リチウム・オキシジェン電池の開発に成功したと主張している」

 すでにデモカーのテスト走行では1回の充電で700キロを走破。従来のEVの倍以上の走行距離を叩き出したという。この次世代電池の量産化が実現するようだと、『ミラクルモーターズ』は一躍EVのトップランナーに躍り出て、ガソリンカーを蹴散らす──。

 有馬は質問を繰り出す。

「イーロン・マスク率いる『テスラ』を凌駕してしまうのですか」

 シリコンバレーを拠点とする電気自動車専門メーカー『テスラ』。創業者にして天才起業家、イーロン・マスクの抜群の知名度とリーダーシップもあり、エコカーの旗手として、世界中から注目されるモンスター級のベンチャーである。株の時価総額では瞬間風速にせよ、GМ、フォードを抜いたこともあった。

「リチウム・オキシジェン電池の実用化が本物で、量産化が可能ならテスラなど問題にならない」

(続く)