夢―――。
この言葉を耳にしたとき、あなたはどんな感想を抱くでしょう。
昭和のポップスや演歌の歌詞じゃあるまいし。
我々はもうそんなことを語る年齢でもあるまいし。
判で押したように封切られるハリウッド映画の邦題で十分さetc…
ビジネスの世界で日々タフに働いている方ほど、その甘い言葉の響きに、ちょっと抵抗を感じてしまう向きは多いかもしれません。
しかし、『感動経営――世界一の豪華列車「ななつ星」トップが明かす49の心得』の著者、唐池恒二さんは仕事の現場を駆け回っていた若かりし時代から、夢という言葉を機関銃のように用いています。
たとえば、外食産業の時代には赤字を克服し、黒字を達成することが夢。
黒字を達成したら、東京に進出を果たすことが次の夢。
そしてまた、東京で黒字を達成することが次の新しい夢。
時を経るなかで次々と更新されていった夢は、やがて、
「世界一を目指すことなくして、日本一にはなれない!」
こんなセリフとともに、世界一の豪華列車を目指すプロジェクトにまで上り詰めることとなりました。
そんな壮大な夢であった「ななつ星in九州」の就航が果たされてからはや5年。
じつは先日の共同通信社の報道で“ななつ星の大改装”なる構想が報道されました。
その真相と構想についても、まさに当事者であるおふたりから見解をご紹介します。
壮大な夢を果たした後だからこそ描かれる夢とは?(編集・構成/ソメカワノブヒロ)
王侯貴族たちが愛した名窯の当代は言った。
「これは私の仕事です」
唐池 ななつ星を“世界一”のものにするために、ふたりでウンウン唸って出した結論が「九州にはARITAがあるじゃないか!」でした。
水戸岡 有田焼ですね。東インド会社が東洋と西洋をまたいで次々と海を行き来していた時代、ヨーロッパの王侯貴族たちに非常に愛された“宝物”が有田焼でした。
唐池 だから、水戸岡センセイにも出張っていただきましたね、三右衛門めぐり。
水戸岡 源右衛門、今右衛門、そして柿右衛門。この3つの名窯、3人の当代名工のもとに足を運びました。
唐池 源右衛門さん、今右衛門さんのところで話がはずんで、協力いただいてご快諾いただいて、柿右衛門さんのところに着いたのがもう夕暮れでしたか。
水戸岡 3つの窯の当時のご当代のなかで、いちばんの年長者で、さらに十四代柿右衛門さんは人間国宝(重要無形文化財「色絵磁器」の保持者)でいらして、いちばんの難関とされていましたから、ちょっと焦りましたね。
水戸岡 ドイツのマイセンをはじめ、ヨーロッパの名だたるテーブルウェアブランドのお手本となった名窯ですから。もう、ほんの少しだけでもお手を拝借できればという気持ちでした。
唐池 夕焼けのなか、門の前で待ってくださっていた番頭さんに招き入れられ、座敷にあがった。挨拶もそこそこに、水戸岡さんが訥々と語りだして。
水戸岡 柿右衛門さんはじっと目をつむり腕を組んで、微動だにしない。あれは緊張しました。
唐池 同席した社員たちによれば、時間はものの5分くらい。しかし、水戸岡さんの緊張はひしひしと伝わってくるし、短い時間の中で語られたことは私たちが時間と手間をかけて練り上げたななつ星のコンセプト。
水戸岡 あれほど濃密な5分はほかに記憶にありません。私がなんとか話し終わると、十四代はゆっくりと目を開けて、「それは私の仕事ですね」とおっしゃってくださいました。
唐池 いま思うと“世界一”という私たちの思いをもっとも明確にうけとめてくださったひとりが十四代柿右衛門さんだったのでは。
本人自らヨーロッパに赴いては、いまもご先祖様の作品が彩る古城を訪ねたり、散逸した同様の名品をロンドンのアンティーク店に求めたりされていたようです。まさにななつ星の仕事は、代々の柿右衛門さんと志を同じくする機会に当たる、と考えてくださっていたのではないでしょうか。
水戸岡 源右衛門さん、今右衛門さんとともに柿右衛門さんが作品を寄せてくださることになって、どんなアイテムを……と設計図を広げて思案していたら、柿右衛門さんからご提案いただいたものが洗面鉢でした。
唐池 そうでしたね。まさかそんな日常的に使用されるものをつくってくださるとは夢にも思わなかった。しかし、世界一の車両の日常で使用されるものだから、とおっしゃってくださって。
水戸岡 じつは……私がほんとうにつくってほしかったものが、まさに洗面鉢で。「以心伝心!?」と心底驚いて、感動したことを昨日のことのように覚えています。
唐池 そんなに貴重なものを毎日お客さまにじゃんじゃん使ってもらって「壊れてしまったらどうするんですか?」と尋ねたら「また作ったらいい」と即答されましたね。名人は凄い。
水戸岡 しかし、皆さんご存知の通り、柿右衛門さんは作品を我々にお納めいただいて後すぐに亡くなられました。末期がんの身体で、私たちとの仕事で取り組んでくださった。
唐池 だから、十四代の遺作はななつ星の洗面鉢です。往時のヨーロッパの王室のしつらいをご用意できました……かな。
水戸岡 そうですね、少なくとも現代を生きるものとして全力は尽くしました。