絶対に「戦う姿勢」を失ってはならない
いかがだろうか?
交渉決裂が「交渉プロセス」の一部になりうることをご理解いただけたのではないだろうか。日本人事業家は「51%以上の株式保有」という条件を譲歩することなく、交渉決裂を通告。徹底抗戦に打って出ることで、最終的に自分が求める条件を満たす合意を獲得したのだ。
もちろん、日本人事業家は、最終的に合意にこぎつけることをめざして戦ったわけではない。あくまで、「この事業を成功させる」という目的を達成するために戦ったのだ。だから、大資本が再び合併交渉を持ちかけてきたのは、いわば「棚からぼた餠」。しかし、戦い続けたからこそ、その「餅」は落ちてきたのだ。
ここで私が思い出すのは、19世紀プロイセンの軍人であるクラウゼヴィッツの古典的名著『戦争論』の一節だ。
「戦争は単に一つの政治的行動であるのみならず、実にまた一つの政治的手段であり、政治的交渉の継続であり、他の手段による政治的交渉の継続にほかならない」(清水多吉訳、中公文庫)。
要するに、交渉と戦争は「地続き」のものというわけだ。「交渉は究極的には戦いである」と言い換えることもできるだろう。実に本質をついた指摘だと思う。ビジネスと政治を同列に語ることはできないが、「交渉は究極的には戦いである」という点では同じだと思うからだ。
交渉とは「合意に達することを目的に討議すること」であるが、そのような討議を行うのは、あくまでもお互いが「自分の目的」を実現するためだ。いわば、交渉とはエゴイズムのぶつかり合いであり、「戦い」にほかならないのだ。
交渉において大切なのは、この認識である。
交渉は合意することがゴールではない。
あくまでも「自分の目的」を達成することがゴールなのだ。
もちろん、交渉の場では、相手の立場に配慮をして、誠実かつ協調的に討議しなければならない。しかし、決して「戦う姿勢」を失ってはならない。それを失ったとき、確実に不利な交渉を強いられることになるのだ。