日露戦争の戦費捻出以来、日本酒はいまだに国税庁管轄

朝倉 スーパーマーケットに並んでいる安い紙パック入りの酒ではない一方で、他の中〜高級酒とも一線を画するナチュラルな製法によって造られた酒という新しい基軸の商品を追求し、そのために必要なお金を銀行から調達したということですね。

佐藤 当時はまだ、クラウドファンディングのようなものも普及していませんでした。最近はドン・ペリニヨンの元醸造長が富山県で日本酒の醸造施設を立ち上げる計画が進んでいたり、何年か前にはルイヴィトン(LVMH)グループが酒蔵を買収しようしたりといった動きが見られますし、ファンドで資金を調達した酒造りも出てきています。でも、僕が戻ってきた当時にはそういった仕組みや社会の動きはなかったし、そもそも僕にもそういう思いつきはありませんでした。

日本酒業界は「石高脳」から「PL脳」へ。ヴィトングループなど外資も参入をねらう激動時代を老舗の蔵は生き抜けるか?日本酒の味わいは、狙い通りに出せるものかと問う朝倉さん

朝倉 今は資金調達においても、様々なオプションが用意されていますからね。ところで、シロウト的な質問で恐縮ですが、そういう戦略があったとしても、日本酒の味というものは、ピタリと狙った通りに造り出せるものなのでしょうか?

佐藤 ある程度までは可能ですが、厳密にはそう容易くコントロールできないので、長い時間をかけて調整していくことになります。そもそも、伝統製法自体が科学技術で解明されていないブラックボックスですから、コントロールが難しいのです。しかし、そうした予測不能なところも、利点として捉えています。一本一本の仕込みに微妙な個性が備わったり、また我々の意図しなかった素晴らしいものができる可能性もあるからです。

 一方、市場の日本酒に関して僕が危惧しているのは、均質化ならびに加工業化している傾向がうかがえることです。実は、いまだに酒造りに関しては、基本的な流れを国が指導していた名残が色濃く残っています。かつて日本酒は国にとって貴重な税収で、日露戦争の頃は国税の40%以上を占めて戦費の財源となっていました。酒税の問題から、酒蔵が国税庁の管轄下にあるのは当然ですが、それ以上に当業界には手厚いサポートが配されています。製法の研究機関として、独立行政法人酒類総合研究所があるほか、各都道府県に酒造研究に特化した公的組織と指導員が配されていることが多いです。国税庁が主催する全国新酒品評会で金賞を獲得しやすくなるので、蔵元の多くは足並みを揃えてそれに従いますが、これをそのまま応用してしまうがために、市販酒の設計までが一律に似てくる傾向があり、結果的に市場の酒が同質化していくきらいがあります。

朝倉 今もそこまで国が指導している業界は珍しいですね。

佐藤 もちろん公的機関の指導のおかげで、酒質自体は底上げされているわけですから利点もあるのですが、メーカーがそれに頼り切りだとひたすら均質化が進んでしまうのです。そもそも公的機関は個々の蔵同士を差別化するのが得意ではありません。公の組織であるがために、普遍的なマニュアルや誰でも使える原料や素材を開発する必要があります。こうした指導をそのまま踏襲するだけであれば、酒蔵同士の酒質は似てきて当然と言えるでしょう。こうした公的研究機関は、綿密に市場研究をしたうえで酒蔵を指導しているわけではないですから、それに従って仮にコンテストでは金賞をとれたとしても、その酒が市場で評価されるかどうかはわかりません。

朝倉 率直に言えば、余計なお世話を国が焼いてしまっているわけでしょうか。

佐藤 そこまでは言いません。実際、國酒である日本酒に対する長年の公的なサポートのおかげで、酒質の全体的な底上げには達成されました。問題は、個々のメーカーがそこから先の「個性化」まで、いまいち踏み込めていないことではないかと思います。酒造業は家業かつ免許事業ですから、後継者の質が問われないのが、良い点でも悪い点でもあります。蔵の跡継ぎは、私のように国の研究機関か、あるいは大学の農学部などで科学的な酒造りについて勉強してから、実家に戻ることが多いので、それまでの間にいかに広い視野を得ることができるかがカギではないでしょうか。先にも申し上げたとおり、現代の酒蔵を取り巻く環境について、単に自分がそれしか見ていないからといって、当たり前の前提として受け入れてしまえば、特に自分でなにかしよう、変えようという発想にもならず、酒質的にも経営的にも打つ手が限られてきてしまいます。

朝倉 酒蔵を代々継いでいく従来のサイクルの中だと、なかなか視野を広げる機会がないんですね。

佐藤 現代の酒造りは、特に戦後の短期間に高度に合理化しました。勘に頼らない科学ベースの製法ですからマニュアル偏重主義的なところが少なからずあり、全国津々浦々、高級酒になるほどその製法がほとんど決まっていますし、それに応じて合理的な機械も開発されています。このようなお膳立てされた既定路線の中では、大きな変革に後ろ向きになりかねません。それは伝統ではなく、単なる保守ではないでしょうか。現代に限らず、常にものごとは移ろいやすいものですから、長く続く伝統こそ絶えざるイノベーションの連続によって存在できたのだと思います。ですから、なによりも本業界の土壌を、イノベーションが生まれにくいものになってにしてはいけないと考えています。(後編につづく