たとえば、2002年のシカゴマラソンを2時間6分16秒で走破して、15年以上にわたりマラソン日本記録を保持していた高岡寿成(現・カネボウ監督)は、箱根駅伝を目指さなかったことで、“成功”を手にしている。

 高岡は全国高校駅伝に3年連続で出場して、3年時には4区で区間新記録(当時)をマーク。関東の強豪校から誘われたが、地元の龍谷大学に進学した。学生時代の取り組みは関東の大学と大きく異なる。その中で独自の進化を遂げてきた。

 大学3年時に日本インカレ5000mで5位に食い込むと、4年時に5000mで13分20秒43の日本記録(当時)を樹立。1992年のことなので、今から四半世紀以上も前になる。ちなみに今季の5000m学生トップは堀尾謙介(中大4)の13分33秒51だ。

 当時、高岡の1万mベストは29分28秒0。このタイムは今回の箱根駅伝における登録選手上位10名の平均タイムでいうと、21番目(29分22秒55)の国士大を下回る。1万mのタイムだけでいうと、現在の箱根駅伝ランナーの“水準以下”だ。しかし、5000mの記録はダントツトップで、その後の成長率も高かった。

 高岡は3000m、5000m、1万m、マラソンの4種目で日本記録(当時)を樹立。2000年シドニー五輪1万mで7位、2005年ヘルシンキ世界陸上のマラソンで4位と世界大会でも入賞して、日本長距離界のレジェンドになった。

 そんな高岡に憧れを抱いていたのが、大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)だ。当初は大学進学ではなく、実業団を志望していたほどで、箱根駅伝にさほど興味を持っていたわけではなかった。それよりもシンプルに「強くなりたい」という気持ちに満ちていた。

 早大に進学した大迫は、箱根駅伝に向けたトレーニングではなく、トラック(5000m・1万m)のタイム短縮を目指してスピードを磨いた。その影響で3・4年時は区間賞を逃すなど、箱根では期待通りの走りを見せることはできなかったが、その後の活躍はご存知の通り。2015年に5000mで13分08秒40の日本記録を樹立すると、今年10月のシカゴマラソンでは日本人として初めて2時間6分の壁を突破する2時間5分50秒をマークしている。

 大迫のように箱根を目指すチームで、我が道を貫くのは相当な覚悟が必要だ。箱根よりも世界。そう考えているランナーのためにも、関東以外の大学でスピードを磨くという選択肢は残しておきたい。将来のことを考えて、大学は出ておきたいという選手は多い。すべての道が箱根に通じてしまうと、指導が均一化されて、個性的な選手は生まれにくくなる。

 大学からすれば、将来の五輪ランナーを育てるよりも、箱根駅伝で活躍した方が、学校のブランディングになる。しかし、世界で活躍する選手を多く育てた大学が評価されるような時代になれば、日本のスポーツ界はもっと進化すると思う。箱根駅伝以外でスポットライトを浴びる学生ランナーの出現を期待したい。

(本記事はVICTORYの提供記事です)