「非国民」「努力の尊さ」という詐術のメカニズム

「おまえは非国民だ!」の指摘にはもう一つの構造があります。物理的な問題を、感情や心情的な問題にすり替えていることです。

 こんなにみんなが努力しているのに、お前はそれを笑うのか、という非難は、いつの間にか、物理的な問題を心情的な問題にすり替えていることがわかります。物理的な視点ではウソがつけないため、集団の情況や心情を持ち出してくるのです。

 また、日本人が好む「人の努力は常に尊い」という発想にも危険があります。人の努力が尊いとは、正しいことをしている場合に限って言えるはずです。間違った努力を継続すれば、本人も周囲も社会全体も不幸にするだけです。

 相対化とは、命題が正しい場合と間違っている場合を区分することでした。努力も絶対化すれば、不幸を拡散させ悲劇を増大させる悪そのものになるのです。

 高高度を飛行するB29を竹槍で落とすポーズは、全滅するまで戦争を継続するという前提から国民を逃がさないための、虚構の一つだったと考えられます。

 もし現実だけを見たら、100%敗戦が予測でき、日本国民は意欲を完全に失います。しかし、間違った目標に対して意欲を失うことは、本来正しいことでしょう。

 間違いを訂正させないため、物理的な問題を心情的な問題にすり替えて、計測不能にする。この詐術は現代の日本社会でも、頻繁に見られる大衆誘導の手法です。

 ゆがんだ物の見方をムラに強制して、水を差されることへの防御をしているのです。

 戦争継続の空気に拘束されて、日本人はまったく勝ち目のない悲惨な戦争をだらだらと続けました。膨大な犠牲を払い、長崎・広島で原子爆弾が45万人の命を一瞬で奪うまで、誰も「敗戦受諾と停戦」を実現できなかったのです。

(この原稿は書籍『「超」入門 空気の研究』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)