外の光を入れるか、自ら外に出る
――[2]閉鎖された劇場を破壊する

 空気が醸成され、強力な同調圧力となるには、閉鎖された劇場の要素が不可欠です。多くの人を一つの情況(物の見方)に閉じ込めるとしても、力の範囲には限界があるからです。

 学校のいじめの問題は、クラスという閉鎖空間と固定された人間関係が重要な引き金の一つとなっています。

 また近年、スポーツ界でのセクハラ、パワハラ事件が相次ぎ、大きく報道されています。これもコーチや上層部が権力を握り、選手の選考などに大きな影響を持ちながら、閉鎖的なネットワークで機能していることが問題を大きくしています。

 このような場合、対処は大きく二つあるでしょう。

 一つは、閉鎖された劇場の扉を開けて、外の光を劇場の中に差し入れる。これにより、閉鎖された場が白日の下にさらされることになり、空気の支配を崩壊させる。

 二つ目は、自らが閉鎖された場を見限り、そこから出て新天地を目指すことです。

 内藤朝雄氏の書籍『いじめの構造』には、いじめ発生の構造に着目した、以下のような対策が提示されています(*2)。

【[1]学校の法化】
加害者が生徒である場合も教員である場合も等しく、暴力系のいじめに対しては学校内治外法権(聖域としての無法特権)を廃し、通常の市民社会と同じ基準で、法にゆだねる。その上で、加害者のメンバーシップを停止する。

【[2]学級制度の廃止】
コミュニケーションを操作するようないじめに対しては、学級制度を廃止する。

 一つ目の「学校の法化」とは、学校内を聖域化せずに、暴力には警察を呼ぶことを当たり前にすることです。こうすることで、加害生徒が教室の閉鎖性を悪用して「自分たちに都合のいい前提」を構築して支配させないようにする。

 加害者が生徒であれ教員であれ、暴力に対しては警察を呼ぶのがあたりまえの場所であれば、「これ以上やると警察だ」の一言で、(利害計算の値が変わって)暴力によるいじめは確実に止まる(中略)、いじめは基本的に「やっても大丈夫」「やったほうがむしろ得だ」という利害構造に支えられて蔓延し、エスカレートしているからである(*3)。

 2番目の「学級制度の廃止」は、クラスという単位で同じ人間関係を長期間強制される仕組みを変えることで、いじめの発生する根源的な構造を破壊することです。

 学級や学校への囲い込みを廃止し、出会いに関する広い選択肢と十分なアクセス可能性を有する生活圏で、若い人たちが自由に交友関係を試行錯誤できるのであれば、「しかと」で他人を苦しませるということ自体が存在できなくなる(*4)。

『いじめの構造』を書いた内藤氏は、大学の教室では「しかと」をする者は、単純に相手から付き合ってもらえなくなるだけだ、と指摘しています。嫌な相手から去る自由がある場だからです。

 前提に従わない者への同調圧力には、必ず範囲の限界があります。あらゆる劇場には外側があることを私たちは常に理解し、外の光を入れるか、劇場を見限るべきなのです。

(注)
*2 内藤朝雄『いじめの構造』(講談社現代新書) P.199
*3 『いじめの構造』 P.200
*4 『いじめの構造』 P.203