日本人に合うボールを追求
目標は早期の国内シェア倍増

 日本エボナイトが国内初のボウリングボールの製造に成功したのは1952年のこと。当初は社名にもあるエボナイトという硬質ゴムで作っていたが、80年代以降、マイボールの表面素材はウレタンが主流となった。

 直近では年商およそ7億円のうち、ボウリングボールの売り上げは1億円超で、会社としての主力事業は印刷用ロールの製造だ。9代目社長の加藤章は電機メーカーなどを経て、2011年に工場長代理として入社。社長就任後も普段は作業着で栃木県の佐野工場に常駐し、生産工程を見守る。

 そんな加藤が現場に求めるのは、国産ならではの強みを生かした「日本人に合うボール」の開発だ。

 米国製は大柄な欧米人の体格に合わせて作られ、パワーで劣る日本人の使用にはそぐわないこともある。また外国製は既製品を輸入販売するほかないのに対して、日本エボナイトの場合はABSの専属プロが試作品の使用感をレポートし、そこで得られた指摘を新製品の開発に生かしているという。

 さらに輸送コストの高さからまとまった数でないと輸入が難しい外国製と異なり、少量の注文にも応じることで物流面の差別化も図っている。こうした工夫を重ね、「国内シェアをできるだけ早く倍増させる」(加藤)のが今の目標だ。

 日本ではかつて60年代半ばから70年代初めにかけて爆発的なボウリングブームが到来。一時は国内だけで10社程度のボールメーカーがあったというが、下火になるにつれて撤退が相次ぎ、いつしか日本エボナイトだけが国内唯一のメーカーとなってしまった。

 そしてピーク時には年間10万個ほどを量産したが、その後は1万個を割り込む年もあるなど苦境に陥り、同社のボウリングボール事業は長らく赤字が続いた。

 しかも10年ごろにはボールの表面を覆う「外皮」の原料調達難に直面し、撤退に追い込まれかけたこともある。だが、最後の国産メーカーとして何とか事業を存続すべく、当時の7代目社長が代替調達先を確保して難局を乗り切った。

 このような反省も踏まえ、同時期から開発室を設けて原材料の調達経路や開発方法の見直しを徹底。以前は米国製ボールに水をあけられていた性能面での改善が進む中で、徐々に日本人プロボウラーによる同社ボールの使用も増え、この数年は年間1万個程度の生産を回復して事業が黒字化したという。