7年にわたる経営危機から脱し、小売・金融一体のビジネスモデルで攻めの経営に転じている丸井グループ(以下、丸井)。いまやIRの明快さでも、高い評価を受けています。いかにしてヤング×ファッションという成功体験から脱却し、苦境を切り抜けたのか。2005年から同社のかじを取る青井浩社長に、『ファイナンス思考』著者の朝倉祐介さんが聞きました。(撮影:野中麻実子、作図:うちきばがんた)

大成功モデルの賞味期限は案外短かった

青井 浩(あおい・ひろし)
株式会社丸井グループ代表取締役社長
1961年生まれ。慶應義塾大学卒業。1986年株式会社丸井(現:株式会社丸井グループ)入社。91年に取締役営業企画本部長、2001年に常務取締役営業本部長に就任。04年に代表取締役副社長を経て、05年4月より代表取締役社長に就任。

朝倉祐介さん(以下、朝倉) 丸井のIRは素晴らしい、とファンドマネジャーやアナリストの友人らの間でも評判でしたので、ぜひお話を伺いたいと思っていました。

青井浩さん(以下、青井) ありがとうございます。昔から投資家を重視したい気持ちはあったんです。ただし、2007年から7年間は経営危機に陥っており、とにかく事業を立て直すことに専念せざるを得なかった。

 その間は上場以来初の赤字決算をそれも2回経験して、いつ潰れたり買収されてもおかしくない状況でした(EPS推移グラフ)。お陰様で2014年あたりから業績が回復してきて、それに合わせてIRにも時間と労力を費やせるようになった、というのが正直なところです。

朝倉 そうだったんですね。お店を運営されながらの立て直しですから、大変ですよね。

青井 周囲からは、なぜこんな急に変わったの?何があったの?と聞かれるんです(笑)。でも、我々としては急変したわけではなく、それまで集中治療室にいて皆さんと話したくても面会謝絶で会えない状況だったのが、お陰様で退院できてお目にかかれた、というのが本当のところです。

「景気は自らつくるもの」という創業者の言葉どおり、革新を続けてきた。
(本文中の図表は、特に注記のない限り『経営共創レポート2018』より一部改編)
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 我々の場合、若い方向けにファッションとクレジットカードの組み合わせで大成功した歴史がありますが、今思えば大成功した期間はバブル前の5~6年と案外短かったんです。登った山が高かったので、落ち切るまでに時間がかかっただけ。ビジネスモデルとしては、バブル崩壊後から僕が社長に就任した2005年あたりまでに、完全に賞味期限が切れていました。

朝倉祐介(あさくら・ゆうすけ)
シニフィアン株式会社共同代表
東京大学法学部卒業。マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、東京大学在学中に設立したネイキッドテクノロジーに復帰、代表に就任。ミクシィへの売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。株式会社セプテーニ・ホールディングス社外取締役。2017年、シニフィアン株式会社を設立、現任。著書に、新時代のしなやかな経営哲学を説いた『論語と算盤と私』(ダイヤモンド社)など。

朝倉 振り返ってご覧になって、危機に陥った一番の要因は何だったのですか。

青井 小売りとカードビジネス、それぞれに構造問題を抱えていました。小売りのほうで言えば、従来のお店の運営が限界に来ていました。我々も百貨店さんと同じように1階が雑貨、2~4階が婦人服、5~6階が紳士服、7階が家庭用品……といった縦割りで、商品の仕入価格と販売価格の差額で儲けるビジネスモデルでした。ただ、実は不動産コストや人件費が高いので、損益分岐点が9割近くと、ものすごく高かった。それでも、損益分岐点を超えれば急角度で利益が出ますから、右肩上がりの時代にはいいモデルでした。実際、一等地にある店でも、相場家賃の何倍もの利益が出ていましたしね。

朝倉 損益分岐点がそこまで高いとは知りませんでした。

青井 そうなんですよ。でも、いつしか収入が相場家賃を割り込んでいるんじゃないかと思われる店が出てきました。調べてみると、驚くべきことに全店フロアの6割の区画で、収入が相場家賃を下回っていた。我々も20年30年と成功してきた商売なので、「ゆでガエル」状態だったんですね。実態に気付かなかったんです。

朝倉 そういうものなんですね。