ハーバード・ビジネススクールの学生たちは、「本当に世の中を変えるかもしれないBig Ideaに集中せよ」と教えられるという。
以前、カーツワイルが立ち上げた「シンギュラリティ大学」のエグゼクティブ・プログラムを僕が受講した際にも、まず伝えられたのは「10%のカイゼンよりも、10倍にすることを考えろ」ということだった。
同大には、そうした遠大な目標をつくるためのMTP(Massive Transformative Purpose:野心的な変革目標)というフォーマットが用意されているほどだ。
おそらく多くの人は「え、10倍? そんなの無理に決まっている!」という感想を抱くはずだ。
しかし意外に思われるかもしれないが、シンギュラリティ大学が「10倍」を推奨するのは、なんと「そのほうが簡単」だからなのである。
どういうことなのだろうか?
いまよりも10%の成長を続けるのは「努力」が必要である。いまよりも10%長く残業するという単純な発想の人はあまりいないだろうが、生産性を10%高めたり、シェアを10%増やしたりといった「がんばり」が求められるのはたしかだ。
他方、10倍の成長は、その種の努力では到達不可能だとわかっているので、根本的に別のやり方を考えるしかない。
途方もなく大きな目標があると、個人の創造力や内発的な動機に訴えかけるアプローチを取らざるを得なくなり、「努力」の呪縛から自分を解放することができる。
また、自分だけで達成するのではなく、世の中に存在するあらゆる資源を活用しようという発想になる。だからこそ、「10%よりも10倍のほうが簡単=ラク」という理屈だ。
また、ムーンショット型アプローチのメリットは、別のところにもある。
ソニーコンピュータサイエンス研究所の社長・所長である北野宏明氏は、「2050年までに、サッカー・ワールドカップ優勝チームに完全自律型のヒューマノイドロボットのチームで勝利する」という遠大なゴールを設定している人物だが、彼はこうした思考法について次のように述べている。
「(ムーンショット型アプローチの)本当の目標は、定めた目標に行きつく過程で、様々な技術が生まれ、その技術が世の中に還元され、そして世の中が変わることなのです。これがMoonshot型のアプローチにある、もう1つの大きな効果です*」
経営にこのような考え方を取り入れる経営者も増えている。最近では、ZOZO社長の前澤友作氏が「2023年にアーティストとともに月に行く」という文字どおりムーンショット(彼の言葉を借りるなら「夢」)で注目を集めたのは記憶に新しい。
一方、その代表格として僕が取り上げたいのは、「2020年に人工の流れ星をエンタメ事業にする」という野心的プロジェクトを掲げる日本初の宇宙ベンチャー「ALE」だ。
BIOTOPEも支援する同社は、人工衛星から宇宙デブリ(人工的につくった粒)を発射して人工的に流れ星をつくり出す「Sky Canvas事業」を通じて、「宇宙エンターテイメント」という新領域を切り拓こうとしている。
そのプロジェクトだけでも十分にビジョナリーだが、同社CEOの岡島礼奈氏は、全社員とのワークショップを通じて、「科学を社会につなぎ、宇宙を文化圏にする」という壮大なムーンショットにたどり着いた。彼女は「人類が月に行くようになった時代に、宇宙を『新しい文化が生まれる場所』にしたい」と語っている。
想像してほしい、宇宙に住むようになった人類は、どんな生き方をするだろうか? きっと地球とは異なる独自の人生を歩むようになるだろうし、持続可能なエネルギー・食糧システムのなかで、新たなエンターテイメントを生み出しているかもしれない。
達成できるかどうかもわからない大きなゴールだが、つくりたい未来像を明確に打ち出すことで、科学技術の進化スピードをさらに高めていくのが彼女の狙いだ。
実際、同じ未来を見ている人たちの共感を得られたことで、優秀な人材が集まるとともに、ビジネスパートナーとの協業や投資家からの支援にもプラスの影響が現れているそうだ。