目下熱闘を繰り広げる平成最後の甲子園、第91回センバツ高校野球大会開会式の入場行進曲は、平成を代表する「あの曲」でした。

本記事では、子育て中の親の悩みが幸せに変わる「29の言葉」を紹介し、発売直後に重版が決まるなど注目を集める新刊『子どもが幸せになることば』の著者であり、4人の子を持つ医師・臨床心理士の田中茂樹氏が、親が子どもに“世界に1つだけの花”を願うことの「危うさ」について紹介します。(構成:編集部/今野良介)

「精一杯やってくれたらそれでいいのよ」の危うさ

新聞の投書欄で、以前、次のようなものを見かけました。
みなさんはどのように感じられるでしょうか。

『世界に一つだけの花』の歌詞が好きです。
「一番になれ」と、子どもを育てている親も多いと思いますが、子どもは一人ひとり違うのだから、「精一杯やってくれたらそれでいいのよ」と、声をかけてあげてください。    (60代女性)

(朝日新聞2012年11月11日・朝刊より)

この方は、多くの親が、子どもを叱咤激励しすぎていることを心配して、この投書をされたようです。子どもをがんばらせようと必死になっている親に対して、「もっと温かい視線で」と提案しています。

その気持ちはわかります。やさしい方なのでしょう。子どものために、子どもが将来つらい思いをしないように、と思いながら、子どもに厳しく接してしまっている親にとって、「もっとやさしく接しても大丈夫ですよ」と、先輩から言葉をかけてもらうことは、大きな支えになるでしょう。

しかし、揚げ足を取るわけではありませんが、「精一杯」という言葉は適切ではないと私は思います。どこまでやったら精一杯かわからないから、です。

真面目な子どもほど、がんばり屋の子どもほど、どこまでもがんばろうとするでしょう。

ですから、親も子もラクになる声かけとしては、「そのままで大丈夫」「そのままのあなたが大好き」など、そのままの子どもを受け入れるような言葉がいいと、私は思います。

「世界に1つだけの花」を願う親が<br />子どもを苦しめてしまう理由花は、ただ、そこにあるだけ。

こんな投書もありました。

先日、娘が願いごとを短冊に書いて保育園に持っていくということがありました。娘が自分の願いを書いてから、「お母さんのお願いごとはなーに?」と聞いたので、「あなたが大人になって好きな人と結婚して幸せになることよ」と答えました。
まだ幼い娘も、いつか大人になっていくのだと思いながら、今の娘との幸せな時間を大切にしようと思いました。    (30代女性)

(朝日新聞2013年1月30日・朝刊より)

この投稿も、先の、精一杯やってくれたらそれでいいのよ、と同じ危うさがあります。

「お母さんのお願いごとはなーに?」と聞かれたのに、「あなたにこうなってほしい」と娘に指示する形になっています。

母親は、自分がそのような要求をしてしまっていることに、気がついていないようです。

でも、

・大人になりなさい
・好きな人をみつけて結婚しなさい
・幸せになりなさい

その指示の一つひとつが、人生の大きな課題ともいえる、重たい指示です。

子どもは親のことが好きだから、親を喜ばせたいと思うでしょう。親の思いを果たそうと、子どもは背負い込むかもしれません。ちょっと大げさかもしれませんが、子どもの健気さは、大人の想像を超えていることがよくあります。

「好きにしたらいいのよ」とか「楽しく生きてくれたらそれでいい」という「願い」も、「要求」となって、子どもに同じような問題を引き起こす可能性があると思います。

本当に「好きにする」のを認めるのなら、何も言わなければいいわけです。

「好きにしたらいい」という言葉には、「あなたは私のために、楽しく生きねばならない」とか「幸せにならねばならない」という要求の一面があり、子どもにとってはやっかいなのです。

楽しく生きたり、好きにするというのは、大人になっていくほど難しいということは、誰もが知っていることです。大人は、生き延びてきた間に、妥協する方法を身につけているので、まあ平気です。

でも、子どもは、これから現実の壁にぶつかるのです。なので、自由に生きよう、幸せに生きよう、個性的に生きよう、などと思えば思うほど、身動きが取れなくなるでしょう。真面目な子ほど、聞き流せないので、そうなりやすいと思います。

ある不登校の高校生の父親との面接でも、同じような言葉に出会いました。

その父親は、子どものころに、両親から学歴偏重の価値観を押しつけられ、したいこともがまんして子ども時代をすごしたと話しました。

そして、その結果、いまのエリートの地位を得ることができたけれど、周囲から思われているほど自分は幸せではない。子どものころにもっといろいろなことをして、楽しくすごしたかったと、後悔が残っているということでした。

父親は、次のように言いました。

「だから、自分の子どもには、私の価値観を押しつけたくなかったんです。子どもに伝えたかったのは、どんな生き方をしてもいいんだ、ということです。できれば、型にはまらずに自分に合った生き方を模索しながら、楽しく自分らしく自由に生きてほしいと、そう思って育ててきました」

もう、お気づきかもしれません。

父親の思いには共感できますが、やはり、気づかぬうちに、子どもに対して、生き方を指示してしまっています。

「型にはまらず、自分に合った生き方をすること」や「楽しく自分らしく自由に生きる」こと。どれ1つとっても、決して簡単なことではありません。

自由に生きている、とは言っても、そのなかにはいろいろな妥協があることを、大人なら知っています。しかし、まだ社会に出ていない子どもには、それはわかりません。型にはまらない生き方をしなさい、と言われても、想像がつかないでしょう。

良かれと思ってかけている言葉が、知らず知らずのうちに子どもにいろいろなことを要求してしまっているかもしれないことを、親は意識しておくことが大切なのです。

そして、それは面倒だったり、大変なことではあるけれど、育児のおもしろいところでもあると私は思います。