『週刊ダイヤモンド』3月23日号の第2特集「ZOZO失墜 前澤商法は限界か」では、ZOZOの前澤友作社長は取材に応じませんでしたが、ZOZOSUITやプライベートブランド(PB)事業を担当した伊藤正裕取締役がインタビューに応じてくれました。中期経営計画で掲げた売上高目標が大幅未達となったことについて「反省し申し訳なかった」と述べた半面、PBのビジネススーツについては「大半の方に正確なサイズで届いている」と強調。本誌では掲載できなかったやりとりの詳細をお届けします。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部 岡田 悟)

投資銀行の紹介で前澤社長と知り合う

――伊藤さんは2000年、17歳でヤッパを起業し注目されました。その後、どういう経緯で14年にZOZOの傘下に入り、今に至ったのですか。

ZOZO取締役の伊藤正裕氏いとう・まさひろ/1983年生まれ。2000年に17歳でヤッパを設立し注目される。同社がZOZOに買収され、15年にスタートトゥデイ工務店CEOに。17年より現職
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 私は2000年の創業以来、ソフトウエアの会社をやってきました。どちらかというとグラフィック系が多く、最初の事業は3D。携帯電話のグラフィックライブラリーとか、電子新聞。それから電子雑誌に移行したんですね。

 13年ごろ、ヤッパへの個人の出資者の1人がご高齢ということもあり、イグジット(投資資金の回収)をされたいと言われました。その方だけで33%以上の株式を持っておられたので、投資銀行にフィナンシャルアドバイザーになってもらって、新たな出資先を探していたのです。そこで紹介されたのが、社長の前澤だったんですよ。実は、それまで前澤とは一度も会ったことがなかった。当時の私は、投資銀行のスタッフと一緒に、スーツを着て「こんな会社をやっております」と前澤に説明したのです。

 私は当時、電子雑誌をやっていて、中でもファッション誌が多かった。この秋何を着ればいいんだろうとか、当時はまだまだ雑誌が情報源だった。なので、洋服をインターネットで販売するときに、そうした記事をコンテンツとして利用すると面白いよね、という話になり、前澤にM&Aを検討してもらいました。

 実際、電子雑誌をZOZOTOWN上で販売したんですね。でも、まだ紙のコンテンツのデジタルへの移行がそれほど進んでいない中途半端な時代でもあり、アプローチの仕方も悪かったのか、あまり読まれなかった。その後は、ZOZOグループとしての技術力強化をしようと、スタートトゥデイ工務店(現ZOZOテクノロジーズ)のCEOとして、100人単位で技術者の求人をかけたりしていました。