三重苦からスタートしたベンチャー投資

――当時は独立系のVCもまだ少なかったと聞きます。事業として成り立ったのでしょうか。

仮屋薗 アップルやAOLなどを支援した著名キャピタリストで、後にグロービスともファンドを作ることになるエイパックス・グループ(Apax Group)のアラン・パトリコフという人物がいるのですが、彼はよく「ベンチャーキャピタルが産業として成り立つのには3つの要素が必要だ」と語っていました。1つは成長産業があること。2つめはエグジット(IPOやM&Aといった出口)環境があること。そして3つめは起業家が存在することです。

 90年代当時、シリコンバレーではすでにITという成長産業があり、エグジット環境がありました。しかし日本はというとまだIT産業が立ち上がっておらず、ナスダック・ジャパン(後のヘラクレス)や東証マザーズといった新興市場も99年の設立なので、エグジット環境もありませんでした。そして企業を見れば「終身雇用が当然」という状況で、起業家というのは、今以上にアウトサイダーな存在でした。

 そういう意味ではベンチャー投資が“三重苦”の時代だったのですが、堀も私もシリコンバレーで実現しているような、ハンズオンで投資をし、「企業を創ることを通じて産業を創る」ということに挑戦したいという思いが強く、VCの設立に至りました。

――そんな環境下で、ファンドの資金をどう集めたのでしょうか。

仮屋薗 そのときLPになってくれたのは、当時成功した起業家でした。ベネッセ、CSK、ミスミの創業者の方々です。そして機関投資家の東京海上(グループの東京海上キャピタル)もLPになってくれました。機関投資家がトラックレコード(実績)のない1号ファンドに投資することは今でもあまりないのですが、GCPのビジョンを支持してくれたのです。

 当時あったベンチャーキャピタルの多くは、レイターステージに対するハンズオフ、分散投資というのが実態でした。そんな中、我々はアーリーステージにハンズオン投資、つまり手を動かして経営を支援するというコンセプトで投資をスタートしました。

 結果、1号ファンドでは13社に投資をして、その中から6社が上場しています。代表的な例を挙げると、BtoBの事業領域ではワークスアプリケーションズ(2001年上場)。BtoCの事業領域ではネットエイジ(ネットエイジグループとして2006年上場)です。日本のインターネット創世初期の代表企業である2社に文字通り上場まで伴走していました。