デビュー作『転職の思考法』がいきなり、12万部。続く『天才を殺す凡人』も9万部を突破するなど、今、最注目のビジネス作家北野唯我氏。2回目の今回は、元号が変わり新しい時代になるタイミングに合わせて、北野氏が今だらからこそ言える、「新しい時代の正しい努力」について寄稿してもらった。

「天才」と「努力家」

 という対立ほど、人々の関心を誘うものは少ない。あるいは「天才」とまでいかなくても、マンガや映画、コンテンツには何かしらの「才能」の類が描かれている。

 今日はこの「才能」について、私が20代のうちに知りたかったなぁと思うことを本音ベースで書きたい。

日本人の「努力神話」はもはや、昭和の宗教の一種に近い

北野唯我(きたの・ゆいが)
兵庫県出身。神戸大学経営学部卒。新卒で博報堂、ボストンコンサルティンググループを経験し、2016年ワンキャリアに参画、最高戦略責任者。1987年生。デビュー作『転職の思考法』(ダイヤモンド社)は12万部。2作目『天才を殺す凡人』(日本経済新聞出版社)は発売3ヵ月で9万部を突破中。レントヘッド代表取締役も兼務。

 以前、ある対談をしたとき、「日本人にとって経済とは信仰である」という話を聞いた。いわく、経済は実態にも関わらず、「日本はすごい」という宗教に近い感覚で捉えてしまう、結果、経済状態を冷静に分析できないのだ、という話だった。

 この話の真偽はさておき、私はある昭和的な価値観を持ち合わせた人と話していると、「努力」や「才能」に関する考えも、同じだなと思うことがある。具体的には「努力教」とでも呼べるものだろうか。その経典の内容は

「努力すればなんでも叶う」
「頑張って汗水流している姿は全てに増して尊い」

 とでもいうものに近いように感じる。たとえば、某テレビ番組に代表されるような「100キロ走っている姿を見せる」みたいなイメージがわかりやすいだろうか。努力している姿が感動的でしょ?と視聴者に訴えかける類のものだ。

 あるいは、ビジネスのフィールドでもこれは同じで、たとえば成功者がよくインタビューで「私はとにかく目の前のことだけ頑張ってきました。だからとにかく若いうちは目の前のことだけ努力しなさい」ということがある。

 これらは全て「努力教」のように、努力とは苦痛を伴うもので、大変なものである、努力なくして成功はあり得ない、という考えに見える。皆さんはこの意見を聞いてどう思うだろうか?

 私は2つのことを思う。

 1つは「確かに努力はある程度必要だ。どんなに才能がある人も練習はしている」ということ。

 もう1つは、これは猛烈な「生存者バイアス」だなぁということである。具体的には「じゃあ、努力した人全員が成功しましたか?」と聞きたくなるのだ。あるいは、「あなたのその努力は、他の国に生まれても同じ成果が出ていましたか?」と。

 実際には、経済のマクロトレンドは「人口増減」によってかなりの部分が説明できてしまう。その中でその成功者が成功できたのは、たまたま「頑張ってきた+他の人よりポジションが良くて+他者より才能もあった」からこそなのではないか?と冷静に思ってしまうのだ。

 そもそも、この日本人が好きな「努力」とはいったいなんなのだろうか? どんな努力なら効果が高く、どんな努力は効果が弱いのだろうか?

 結論からいうと、私は2つポイントがあると思う。

 1つ目は「才能を活かすための努力」かどうかだ。

 なぜ、私たちのいくらかの人は、芸能人が「100キロマラソン」を走っているのを見て冷めてしまうかというと、それが「本来の才能とは全く関係ない努力」だからだ。

 人には誰しも好きなところや、嫌いなところ、など、才能の偏りが存在している。ただ、その才能を世の中に必要とされる形で「具現化」するためには適した武器がある。

創造性と相性のいい武器:アート、起業、エンジニアリング、文学、音楽、エンターテイメント
再現性と相性のいい武器:サイエンス、組織、ルール、マネジメント、数学、編集、書面、法律
共感性と相性のいい武器:言葉、マーケティング、SNS、写真、対話、地域

 たとえば、音楽家であれば、それはピアノやギターであり、画家であれば、筆でありデッサンである。それと関係ない努力をしても、それは単なる「苦労=感動」を押し付けているだけにしか見えないのだ。だから冷める。

 言いかえれば、どんな努力なら必要なのか?の答えの一つは「自分の才能を活かすための努力」なのだ。

 2つ目は「伸びている場所での努力」

 そしてもう1つは「伸びている場所」での努力、と呼ばれるものだ。『転職の思考法』で指摘したように、悲しいかな、人の市場価値は「どの場所を選ぶのか」によって最大20倍近い差がつく。

 日本国内でわかりやすく言えば、今からどれだけ「ボウリング」の努力をしても、昔のボウリングブームほどの高収入は得られない、ということだ。つまり、業界の生産性は大きく上下するわけだ。

 そして実際、この2つの視点から、成功者のインタビューを冷静に紐解いてみると、この両者がピタッと一致していることが実に多い。

 言いかえるならば、彼らがいう「努力したら成功しましたよ」というのは、

「伸びているマーケットに居て」「自分の才能が活きるような武器」を鍛えるように努力した結果、成功した。ということなのだ。

 令和時代が始まろうとする中、今、必要なのはこの「努力神話」とでも呼べるような、「なんとなく努力する力」ではないと感じる。

 それはもっと大事な、「自分の才能を活かすための努力」であり、「伸びているマーケットに身を置く思考法」なのではないか?と思うのだ。