2.待たされないタイムリーな対応
顧客は、要求に応えてもらうまで、落ち着かない気持ちで待たされたくはない。たとえば、レストランで食事をしているとき、料理は完璧で味も申し分なかったとしても(その点では欠陥なし)、出てくるまでに45分もかかったら、どんなにおいしくても不愉快になるだろう。あるいは、カスタマーサービスに電話して10分も待たされたら、電話に出た担当者がどれほど知識豊富で問題解決能力があっても関係ない。担当者が気づかなくても、お客様はムッとしているはずだ。
3.親切で思いやりのある対応
顧客は、思いやりのある態度で接してほしいと思っている。実際、この3番目の要望は、前の2つを合わせたものよりも大きい。この希望に応えることができれば、ほかに問題があってもカバーすることができる。レストランで食事を終えた客が、こう話すのを聞いたことがある。「料理には問題があったけれど、ウエイターが素晴らしい配慮をしてくれたし、シェフもテーブルまでやってきて謝ってくれた。だから、すべて問題なしだ」
あるとき、シカゴの某銀行から、幹部社員を対象とする講演の依頼を受けた。講演前日の午後、その銀行の仕事ぶりを見ておこうと思い、ダウンタウンのループ地区にあるその銀行を訪ねてみた。銀行の中には立派な大理石の柱が並び、富が集まる場にふさわしい雰囲気が漂っていた。窓口では20人以上が顧客に対応していた。
私は順番待ちの列に並び、自分の番が来るのを待った。ようやく行列の先頭にたどり着いたとき、私の耳に若い女性の甲高い声が飛び込んできた。「次のかた!」
私は彼女の窓口に近づき、「50ドル札を両替してもらえますか」と言った。
微笑むでもなく、何か話しかけるでもなく、彼女は私から50ドル札を受け取り、私が依頼したとおりのことをしてくれた。電光石火の早業で、両替して崩したお金を声に出して数えた。「10、20、30、40、45、50。はい、次の方!」両替されたお金を手に、私は早々に退散した。
銀行の窓口担当者は、欠陥のない商品を提供してくれただろうか? イエス。提供して
くれた。金額に間違いはなく、ドル札は本物だった。
彼女はタイムリーに対応してくれただろうか? イエス。対応してくれた。両替にはた
ぶん60秒もかからなかった。
彼女は私を人間として扱い、私への気遣いを示してくれただろうか? ノー。
翌日の朝、私は講演の中でこの体験を話し、銀行幹部たちにたずねた。
「みなさんがビジネスを行っているのは何の産業ですか? もちろんサービス産業です。みなさんはお金を製造しているわけではない。それは国の印刷局や造幣局がやっています。みなさんは、ただ誰かのお金を扱っているだけです。そうですよね?」
彼らは不承不承うなずいた。
「昨日こちらの銀行を訪ねたとき、私はサービスを提供してもらっている気が全然しませんでした」
たとえば、あなたが医者だとしよう。患者が医者を訪ねるのは、当然、病気やケガを治療してほしいと願ってのことだ。だが、絶対にそれがすべてでもないはずだ。癒しは、棚に並んだ薬だけからもたらされるものではない。
患者は医師や看護師に、いや受付係にさえ、自分の話を聞いてほしいと願っている。誰かに、思いやりのある態度で話を聞いてもらいたいのだ。症状についての患者の説明は、だらだらと要領を得ないかもしれないし、混乱していることさえあるかもしれない。だが、それが患者の現実だ。医療従事者が人間としての患者に真摯に向き合うのでなければ、真の癒しは実現しない。
教会に行く人は、心洗われるような説教を牧師から聞きたいと期待している(欠陥のない製品)。礼拝が予定の時刻に始まって、予定の時刻に終わることを期待している(タイムリーな対応)。しかし、教会に入ってから外に出るまでの間のどこかで、受付以外の誰かが、その人が教会に来たことに気づいてくれただろうか? 牧師や教会のメンバーが、目を合わせて微笑み、握手してくれただろうか? 大勢が集う慌ただしさの中で、教会に来た人は、自分自身の存在の意味を感じることができただろうか?
もちろん、初めて訪ねた場所で、どんな方法で迎えてもらいたいかは、人それぞれだ。しっかりハグしてほしいと思う人もいれば、体に触れられると自分のスペースを侵害される感じがして嫌だという人もいる。だが、笑顔と心のこもった「おはようございます」のあいさつを嫌う人はいないだろうし、そうしてもらえば自分には価値があると感じることができるだろう。