正義の判断基準はたった3つ

 先生は背を向け、何ごとかを黒板に書き始めた。

「では、人が何かを正義だと判断するとき、それはどのような判断基準によって行われるのか? 実のところ、その判断基準は大きく分けると3種類しかない」

 え? それは初耳だ。何が正義かなんて、そんなものは、それこそ人それぞれ。正解なんてあるわけがない。そう思ってきたし、だからこそ正義について考えたり議論しても意味がないとも思ってきた。

 でも、人それぞれと言いつつも、実は「その判断基準はたったの3種類しかない」と風祭先生は言うのだ。その話に、不覚にも僕は少し興味をそそられてしまった。

 先生は、黒板に3つの単語を書き終え、振り返ってこう述べた。
「人間が持つ3種類の『正義の判断基準』、それは『平等、自由、宗教』の3つだ」

 意外にあっさりとした答えだった。本当にそんなものなのかな。

「本当にこの3つだけなのか? そう疑問に思う人もいるだろう。だが、少し視野を広げて、世界レベルで考えてみてほしい。実際のところ世界を見渡せば、『平等』を尊重する国、『自由』を尊重する国、『宗教』を尊重する国の3種類があって、それぞれが自国の正義を訴えて、いがみ合っていることに気がつくはずだ」

 あっ! と思った。言われてみればたしかにそうだ。

「たとえば、共産主義や社会主義といった『平等』を絶対的な正しさとする国がある。
 一方で、そんな国を抑圧的だと批判して『自由』を絶対的な正しさだとする国がある。
 そして、最後に、何らかの『宗教』すなわち『自分たちの国の伝統的な価値観』を絶対的な正しさだとする国がある」

 なるほど。今まで考えたこともなかったが、世界レベルで「自国の正義を主張する国」を大きく分ければ、たしかに3色で色分けができてしまう。

 次回記事『悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく。』に続く。