70億人を殺して、1人を救う?
1. 暴走したトロッコの先に5人がいて、そのままトロッコが突っ込むと5人全員が死んでしまう。
2.でも、あなたが路線を切り替えるレバーを引けば、5人の命を助けることができる。
3.しかし、そうすると今度は切り替えた路線の先にいる別の1人にトロッコが突っ込み、本来無関係のはずの人間が1人犠牲になってしまう。
つまり、こうした状況設定において「さあ、あなたならどうするか」という話で、ようは「そのまま5人を見殺しにすべきか? それとも1人を犠牲にして5人を救うべきか?」という問題だ。少し前に、そういうことを話し合う海外の授業が話題になったからよく覚えている。
「多数の人間を助けるためには少数の人間の命は奪ってもよい、というのはどう考えても正義に反するように思える。しかし、だからといって、それにこだわって目を覆うような大惨事の発生を見過ごすというのも間違っているような気がする。
たとえば極端な話だが、多数が70億人で、少数が1人でしかも殺人鬼の死刑囚だった場合を考えてみてほしい。それでもキミたちは、70億人が死ぬという大惨事を見過ごすべきだと思うだろうか?」
いや、さすがにそれは思わない。思わないけど……、でも、逆に、その1人が自分の恋人だったり、家族だったり、唯一かけがえのない人だったらどうだろう……。
その場合には、多数が100人でも1000人でも、それこそ全人類であったとしても、少数の1人の命を優先しようとする人もいるんじゃないだろうか。うーん、だとしたら、この問題の答えは……。
「生徒会長はどう思うかな?」
「え? やっぱり人それぞれ、かなと」
しまった。突然、先生に質問され、ついそのまま答えてしまった。
もちろん、この答えは僕の本心だ。
だが、この手の問題に「人それぞれでしょ」なんて一番言ったらダメな言葉であろう。ましてや僕は生徒会長で、一応、さまざまなトラブルを解決する立場にあるのだから、本心はともかく考えることを放棄している感満載のこの回答は非常にマズい気がする。
ふと心配になり、首は動かさず視線だけで左隣を見てみると、副会長の倫理がうつむいて口元をおさえながらぶるぶると震えていた。やばい、怒りをおさえてる。やっぱり、この回答は彼女的に完全にアウトだったようだ。
「人それぞれか、なるほど、それもとても素直な答えだね」
先生やさしい……。空気を読まない僕の発言に対し、風祭先生は不快感をいっさい示すことなく、そのまま授業を続けてくれた。日頃、ちょっとした軽率な言動にも必要以上のツッコミを入れられる身としては、とてもありがたい。
「いま彼が言った通り、一見すると、この問題は人それぞれで答えが異なるもののように思えるし、実際その通りであろう。であるならば、こうした問題について『正義』を問いかけるのは、そもそもがナンセンスなのだろうか。いや、そうではない。たしかに、この問題に明確な答えは存在しないかもしれない。だが、人がこういう状況に置かれたとき、どのように『正義』を判定するのか、その判断基準を分析し、妥当性を議論することはできるはずだ」