看取りの現場の医師と看護師が考える、人の死に方に「常識」があるのか?大津秀一(おおつ・しゅういち)
早期緩和ケア大津秀一クリニック院長
茨城県出身。岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。日本緩和医療学会緩和医療専門医、総合内科専門医、日本老年医学会専門医、日本消化器病学会専門医、がん治療認定医。2006年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。内科専門研修後、ホスピス・在宅・ホームなど、様々な医療機関で緩和ケア及び終末期医療を実践。東邦大学病院緩和ケアセンター長を経て、早期緩和ケアの普及・実践のため、2018年8月に遠隔診療を導入した日本最初の早期緩和ケア(診断時やがん治療中からの緩和ケア及びがんに限らない緩和ケア)外来専業クリニックを設立。全国の患者さんをオンライン緩和ケア診療している。3700人のがん患者、2000人以上の終末期患者を診療し、その経験を生かして執筆・講演活動多数、わかりやすい情報発信を続けている。著書に25万部のベストセラーとなった『死ぬときに後悔すること25』(新潮文庫)、『大切な人を看取る作法』(大和書房)、『1分でも長生きする健康術』(光文社)などがある。https://kanwa.tokyo/

 病床では80代の女性患者さんの耳に病院のスタッフが電話の受話器を寄せ続けていました。その電話には、病院に向かっている娘さんが「お母さん、お母さん!」と話しかけ続けていたのです。
 ところが、娘さんが到着した時には患者さんの呼吸が止まってしまっていました。
「もう死んでいるじゃない!」と娘さんは泣き崩れてしまい、「嘘をついていたんですね。もう母は死んでいるじゃない!?」と。
 でも、もしかしたら届いているかもしれないんです。
 呼吸停止=本当の死と捉えて辛い思いをする方が多いのではないかと思います。

後閑:『大切な人を看取る作法』の中で、大津先生は「空気が変わったら死亡確認する」とお書きになっていますが、それがすごく印象的でした。
 私も、まだ病院に到着していないご家族などがいらっしゃる場合は、ご家族みんなが集まってちゃんとお別れしてから医師に死亡確認してもらうようにしています。
 日本では医師が死亡確認するまでは心肺停止状態ですから、死に目に会えなかったという後悔を少なくするために、なるべく家族がそろってからと考えています。
 でも、これも古くからの「常識」みたいなものがあるだろうなと思いますね。
 ご年配の看護師に聞いたことがあります。
 大昔は血圧が下がってきたら昇圧剤を使ってご家族が病院に来るまでもたせ、そろったところでご家族に気づかれないよう昇圧剤を切るようなこともあったそうです。つまり、ご家族がいる時に事切れるようにしていたということで、彼女が新人看護師だった頃、「死は家族の納得のために」と教えられたと言っていました。
 何十年も前のことだそうですが、そのような文化が今でも名残としてあるのかなと感じます。

大津:20年近く前、私が研修医だった当時は、家族が来るまで心臓マッサージをしていた時代です。
心臓マッサージをしながら待つことにして、ご家族が到着したら手を止める。
 実際にはすでに心臓は止まっていても、そこでモニターを見て確認するというのが「常識」としてありました。
 でも、結局それが本当にご本人のためになっているかどうかはわからないですよね。
 もしかしたら、そんなことをしなくてもご家族の声は届いているかもしれないし、静かに待つことのほうがご本人の思いなのかもしれない。
 だから私はやめました。もちろん、患者さんに事前にうかがって、「私はそうまでされて待ちたくない」とおっしゃれば、しないということですが。
 本当に、後閑さんが言われるように「常識」というのは残っていますが、それでも少しずつ現場の状況は変わってきてはいます。
 後閑さんの活動もそうですが、私もささやかながら発信していくことで、少しずつ変わればいいなと考えています。

後閑:私も、死を迎える時の「常識」なんてものはないんですよ……と伝えたいなとは思っています。
 先日、患者さんが老衰で何の症状もなく静かに息を引き取られました。すると、死ぬ時は苦しむものだと思っていたご家族が、これは医療者に非があるのではないか、何かしたせいで事切れてしまったのではないかと言われたのです。
 老衰の場合は、死の直前に見られる兆候が現れないこともあるのですが、死ぬ時に苦しまないのはむしろおかしいと言うのです。
 医療者側としては、苦しまないように治療していたのに、そういう認識のずれというかギャップというか、「常識」は根強いと感じる出来事がありました。

大津:そうですね。昔に比べると超高齢の方には積極的に濃厚な医療処置をしないこともありますし、腫瘍でも在宅で亡くなる方には最低限の処置で留めたりすることもあるわけです。
 けれど皆さん、医療に対して「こういうものだ」とあらかじめ思い込んでいらっしゃることはありますよね。

後閑:人それぞれ思いは違うはずで、だからこそ話し合いをしてほしいですね。

大津:本当にその通りだと思います。医療者自身も常識や経験に捉われてしまうことがありますね。
 15年以上も前のことですが、病棟である鎮静剤を使った後、もともと非常に状態が悪い患者さんだったので、その後あまり長い時間が経たないうちに亡くなられたことがありました。
 すると、その病棟ではもうその薬は使いたくないということになってしまいました。1つの例、1つの経験に捉われてしまったわけです。
 医療者も経験だけではなく論文を読むなど勉強して、その患者さんには何が一番いいのかを一例一例、考えていくことが大事だと思います。

後閑:今働いている病棟で一番捉われているのは、点滴です。
 皮下点滴でも可能な点滴なら、血管からでも皮下からでも同じなのに、できるだけ最後まで看護師が血管に点滴の針を刺そうとするんです。
 ですから一日に何回も何回も血管に針を刺すことになる。
 もう皮下点滴でいいよね、同じことだし……と私は考えるのですが、血管から皮下に切り替えると早く亡くなってしまうという思い込みが看護師側にあるようです。
 点滴の中身は血管でも皮下でも同じなのですから変わらないはずなのに、「自分が最初に皮下点滴に変えることはしたくない」と言って頑張ってしまうことがあるわけです。
 それこそ「常識」に捉われているなと思いますね。

大津:そうですね。皮下点滴の話は『間違いだらけの緩和薬選びVer.3』にかなり寄稿したので、ぜひ読んでいただきたいです。
 皮下のほうが感染も少ないので、いいと言えるかもしれません。後閑さんが言われるように、効きめは同じですから。
 私も患者さんから感謝された例がありますよ。