立法寺(東京)投稿者:てら×まち×さんぽ @teramachisampo [2018年10月8日]

多くの善知識からの学び

 みなさんは人生の中で尊敬する師匠と呼べるような人がいますか?

 「仏教」というと、お寺の中に厳格な師がいて、弟子がその師匠のもとで仏道修行するというイメージが強いかもしれません。もちろん、そのようなタイプの師弟関係もありますが、すべてがそうではありません。

 浄土真宗の宗祖である親鸞は『歎異抄』第六条の中で、「わたしは弟子をひとりももっていません」と告白し、周りに集まる人々を「御同朋(おんどうぼう)」(=友)としています。これは、「自分の力で人々に念仏を称(とな)えさせるようになったのなら自分の弟子といえるけれども、阿弥陀仏のはたらきからみんなが称えるようになったのだから、そういった人々を弟子と呼ぶのは実におこがましい」という考え方を持っていたからです。

 師や弟子といった形から離れたフラットな関係も仏教界には存在するのです。これはこの掲示板にあるように「互いに師になり弟子となれ」といえる関係です。

 『華厳経』の中に善財童子(ぜんざいどうじ)という少年のお話があります。彼は文殊菩薩の勧めにより、53人の人生の師(善知識)に会って、修行を積みます。その師の中には仏教徒以外の者や遊女らしき女性、童男、童女らもいました。さまざまな人々から学びながら、最後に普賢菩薩のもとで悟りを開く内容になっています。ちなみに、東海道五十三次の宿場の数は、この善知識の数からきているという説もあるそうです。

 仏道を真摯(しんし)に歩む僧侶から学びを得るのではなく、全く仏教とは関係ない人々から多くのものを学び、悟りに至るというところが『華厳経』の大変ユニークな点であり、魅力的な部分です。

 仏教研究者の馬場紀寿先生(東京大学東洋文化研究所准教授)が東京大学のサイト記事で、「病は一師一友のところにあり」と言葉を挙げておられました。「師や友をひとりに限るのではなく、様々な人と出会うことで、多くのものを得ることができる。仏教の根本思想であり、馬場が心がける学者としての基本姿勢だ」と付言してありました。これは先ほどの『華厳経』に基づく姿勢だと思います。

 私も大学院時代の先生から、「同じ研究分野以外の友人を多く持ちなさい。研究のクリエーティブな発想が得られるのは、同業種の人ではなく、必ず他業種の人と話しているときだから」と言われたことを覚えています。これはいまでも私が大切にしている言葉ですが、ビジネスやそれ以外の世界でもきっと通用する考え方だと思います。

 みなさんはいまの自分を振り返ってみて、「一師一友」の関係になっていませんか?一人だけを「師」や「友」と定義せず、職業・年齢関係なくさまざまな人々に謙虚な姿勢で生き方のヒントを求めてみてはいかがでしょうか。

(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)