人間はしかるべき縁に触れればどんな恐ろしいことでもやってしまう
8月13日から15日までは旧盆です。お盆には故郷に帰って、お墓参りに行かれるという方も多いのではないでしょうか。
墓地にはなぜか蚊がたくさんいます。お墓を掃除したり、お参りしていると、たいてい蚊に刺されます。ご先祖様に感謝しながら合掌している最中でも、自分の身体に蚊がとまったら反射的にたたこうとする。それが人間の本性なのかもしれません。
今回ご紹介する掲示板は築地本願寺のものです。最近のものなのですが、ネット上で大きな反響がありました。そこで、掲示した築地本願寺の説明文を最初に紹介させていただきます。
「いのちは大切である」といいますが、実際には「自らに関わりのあるいのちだけが大切である」と生きているのが私たちです。「自分に関わりのないいのち」や「自分に害をなすいのち」は粗末に扱っているのが日ごろの私たちではないでしょうか。
仏教には縁起の教えがあります。私のいのちも蚊のいのちもすべてはつながっていて、無駄ないのちなどはない、という教えです。
とはいえ、いざ蚊が身体にとまり、刺されると、反射的にたたいてしまう。頭で分かっているつもりでも、それが実践にはなかなか結び付かないのが私たちの姿です。
他のいのちを粗末に扱う姿勢がもっとも悲惨に現れ出てしまうのが戦争かもしれません。まもなく74回目の終戦記念日を迎えますが、私が小さい頃はこの時期によく年配の方々から戦時中の残酷な話を聞かされたものです。それらの話に共通していたのは、「戦争は人間を変えてしまう」ということでした。
『歎異抄』第13条の中で、親鸞聖人は「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」とおっしゃっておられます。「人間はしかるべき縁に触れればどんな恐ろしいことでもやってしまう」ということです。第13条の中には以下のような一節もあります(以下は現代語訳です)。
一人ですら殺せるような業縁(身心の行為と、それに伴う条件)がないから、殺害しないのである。自分の心が善いから殺せないのではない。また反対に、いくら殺すまいと思っても、百人、千人という多くの人を殺してしまうこともあるだろう。
真宗教団連合編『歎異抄』(朝日新聞社)
このことを踏まえると、現在の日本の状況が、ある程度平和な環境であるから、私も含めた多くの人びとが他の人びとを殺さずに済んでいるのであって、自分自身が善人であるから人をあやめないのではないといえるかもしれません。
もし時代状況や条件が変われば、身体にとまった蚊を殺すように簡単に人を殺す人間になる可能性がある。親鸞聖人はそのように指摘しているのです。
私たちの現在の平和な暮らしは、非常に多くの先人の犠牲の上に成り立っています。このことを忘れてはなりません。仏様や平和な社会を築いてくれたご先祖様に感謝しながら手を合わせるお盆にしたいものです。
今年も7月1日より「輝け!お寺の掲示板大賞2019」がはじまりました。
全国のお寺の掲示板作品を10月31日までお待ちしております!
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)