メディア化した個人に振りかかる苦悩
自由形競泳で英国代表としてオリンピックに出場するレベッカ・アドリントン選手(23歳)が、オリンピックの期間中はTwitterをやめると報じられた(注)。
彼女は北京オリンピックで2個の金メダルを獲得した選手で、Twitterには5万人を超えるフォロワーがいる。そんな彼女がTwitterを止める理由は、「オリンピック期間中に、ネガティブなコメントへのストレスに対応したくない」のだとか。
特に問題視しているのが、「外見などの自分ではコントロールできないことに対する意地悪なコメント」だ。オリンピックで2度も金メダルを取った優秀な選手でさえも、個人的な侮辱により傷つけられることは少なくない。
さらにネガティブなコメントに限らず、すべての行動がずっと見られているという状態自体、精神的負荷を大きくしてしまうという。
こういった話は、かつては有名人に限ったものだったろう。
しかしソーシャルメディアを使うようになってから、「自分ではコントロールできないことに対する意地悪なコメント」や「すべての行動がずっと見られているという状態」に苛まれるようになった人は僕の周りも多いし、もしかしたらみなさんの中にもそれを自覚している人はいるかもしれない。もはや有名人に限った話ではないのだ。
有名人は元来メディア露出が多い傾向があるが、一般の個人にとってそんな経験は、ソーシャルメディアが普及した今が初めてだろう。ここにこそ、自分が初めてメディア化したことによる苦悩の元凶がある。
とはいえ一方で、人気の高いNBAのチーム「オクラホマシティ・サンダー」のジェームズ・ハーデン選手のように、プレイオフ中もずっとTwitterを利用し、コミュニティから元気をもらっている人もいる。
そしてこれも同じく、有名人に限ったことではない。
広く個人が、ソーシャルメディアの中でのコミュニケーションにより、励まされたり元気をもらえたりするのもまた事実なのだ。
このように、いま人々は、ソーシャルメディアによって自分がメディア化したことがもたらす喜びと苦悩の狭間に立たされている。
いっそのこと、TwitterもFacebookも止めてしまおう、そう思う人もいることだろう。しかしいざとなるとなかなか止められないのは、メディア化によって得られた喜びを忘れられないからだ。
(注)Beth Carter, Twitter Quitters Give Up Social Media Before Intense Competition, WIRED, June 2, 2012.
(http://www.wired.com/playbook/2012/06/athletes-quit-twitter/)