「ヘーゲルの長男」ともいうべき
キルケゴールは実存主義を主張した

――ヘーゲルを目標に、ヘーゲル哲学に挑戦した哲学者には、どのような人物がいたのですか?

出口:セーレン・キルケゴール(1813-1855)、カール・ハインリヒ・マルクス(1818-1883)、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844-1900)が有名です。
この3名の哲学者は、ヘーゲルの哲学の高い峰に向かい、これを越えようとして独自の思想を構築しました。

強くて存在感がある父親がいると、子どもたちは反撥するにせよ同調するにせよ、父親の影響を受けて自分の人生観を組み立てます。そのような意味で、この3人の哲学者は、ヘーゲル哲学が生み出した「3人の兄弟」とでもいうべき位置にあるのではないか、と僕は考えます。
そして、この3人より少し後に生まれたジークムント・フロイト(1856-1939)とマルクスとニーチェは、20世紀後半に「思想の3統領」(グレート・ジャーマン・トリオ)と呼ばれることになります。

――3兄弟の長男は誰ですか?

出口:キルケゴールです。
ヘーゲルは世界のあらゆる事柄は、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼと相互に作用しあい、より高次へ進化すると考えました。
けれどもキルケゴールは、極言すれば、そのようなヘーゲルが考える弁証法的な進歩は、100パーセント思考上の遊戯であって観念の産物であると、痛烈に批判しました。
キルケゴールは、人は自らの「主体的な真理」を求めて、生きるべきであると主張しています。平たくいえば、自分の自由な選択で好きなことを実践して生きることです。
主体的な「実存」のあり方を強調したキルケゴールの発想が、現代の実存主義につながっていきます。

キルケゴールは、著書『死に至る病』の中で、人間の真の生き方に到達する道を3段階に分けて記しています。

――実存の3段階ですね。聞いたことがあります。

出口:そうです。まずキルケゴールは「美的実存」を考えました。美しい恋人、おいしい食べもの、感動的な芸術、そのようなものを求めて生きることです。
しかし、朝昼晩とキャビアを食べていたら飽きるように、「美的実存」という生き方は長続きしません。

次に、キルケゴールが考えた主体的な実存を保障してくれる生き方は、「倫理的実存」です。わかりやすくいえば、たとえばボランティア活動に生きることです。人のために生きることを、いつも大切にすることです。
けれども、このような充実感は、偽善的な行為と紙一重でもあります。人のために生きることも、必ずしも主体的な実存を得ることにはつながりません。

そうなると最終的に人が主体的な実存を得るために、行き着く先は神なのだ、「宗教的実存」なのだ、とキルケゴールは考えました。
盲目的な信仰の対象であった神を一度は否定した後に、人は理性を越えた神の存在を信じ、改めて自らの心を神のもとに投じる。そのことで人は、主体的な実存を得られる。宗教的な実存としての自分になれる、とキルケゴールは結論づけたのです。

キルケゴールの著書『死に至る病』は、「第一部 死に至る病とは絶望のことである」、「第二部 絶望とは罪である」という構成になっています。中公クラシックスから桝田啓三郎による新訳も出ています。