哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第7章のダイジェスト版を公開します。


 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。

 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?

哲学者ニーチェはどこが「すごい」のか?

ニーチェの思想とは?

前回記事『ドストエフスキーの思想を哲学する!』の続きです。

 ニーチェ。
 思いきり聞いたことがあるぞ。哲学者といえばという連想で、ソクラテスと同じレベルですぐに出てくる名だ。そのニーチェが、哲学の伝統を完全に破壊した?

「神は死んだ……。キミたちも聞いたことぐらいはあるだろう。ニーチェが残した言葉の中で、もっとも有名な言葉であるが、一見すると、単に宗教を冒涜しただけの言葉のように思えるかもしれない。だが……、今日の授業で哲学の歴史を知ったキミたちなら、この言葉の意味が、ある程度は想像がつくのではないだろうか?」

 あっ、と思った。僕は黒板に書かれている、枠の外側の単語に目を向けた。
 その単語の上に、先生がバンッと強く手を置く。

「ニーチェが死んだと言った『神』。それはもちろん、『真理』『善』『正義』など、枠の外側にある、超越的な存在のことだ。ニーチェはそれらが『死んだ』と言ったのだ。いや、それどころか、そんな非現実的なものを信じるから、人間は生きる意味を見失ったのだとさえ断言する」

 さっきと逆だ。さっきまでは、神や善などの超越的な存在がなければ生きる意味がないという話をしていたのに、ニーチェは完全にその逆のことを言っている。

 僕は反射的に左隣を見る。すると、案の定、剣呑な目をした倫理が先生をにらんでいた。

「ニーチェによれば、古来、人類は『狼』や『鷹』のような強者を『善い』とする価値観を持っていたが、あるときから―具体的にはキリスト教という宗教や道徳が発生してから―『羊』のような大人しい弱者を『善い』とする価値観を持つようになってしまった」

「これは、自然な、人間本来の価値観ではなく、あとから宗教家や道徳家によって正しいと思い込まされた、偽物の価値観だとニーチェは主張する。そう、ニーチェは、神や善や道徳を、普遍的なものどころか、人工的なものであると言い、しかも、支配者が人間を都合よく大人しくさせるための抑圧の道具にすぎないのだと言ってしまったのだ」

 今の発言、倫理の立場からすれば、当然、看過できない。倫理は立ち上がって反論する。

「ニーチェがどう思おうと勝手ですが、でも、事実として道徳があるからこそ、いま人間は平和に暮らせているのではないでしょうか?」
「ほう、そうかね。人類の歴史を遡れば、道徳―つまり、善や正義といった理想を持っている人間の方が、いわゆる悪人よりも、大勢人間を殺しているのだがね」