『ジハードと死』からの気づき

 だいたい宗教というのは本質的に過激な側面を持つのですが、『哲学と宗教全史』を書き終えてから読んだのですが、『ジハードと死』(オリヴィエ・ロワ著、辻由美訳、新評論)というとても面白い本が出ています。

 フランスの学者が書いた本ですが、なぜ面白いかといえば、ヨーロッパで起こったテロのほとんどを、ものすごく丁寧に分析しているからです。

 著者が、どんなキャリアの人がテロを起こしているかを統計的に丁寧に分析したところ、むしろ彼らはイスラーム教とはほとんど関係がなく、アメリカの高校などで銃を乱射している人たちや、日本でいえば、本当に悲しい出来事ですけれど、京アニの事件を起こしたような人たちと親和性が極めて高いと。

 だから、むしろ宗教と関連づけてこういう人々を説明することが問題の本質を見えにくくするという、すごく面白い指摘をしているのです。

 実は、暴力の件数自体は全世界的に減ってきています。
 日本でも殺人犯や極端な暴力を伴う犯罪はずっと減ってきています。

 だから、世界的な傾向としては暴力は減ってきているのに、京アニやアメリカの銃の乱射など、過激で暴力的な凶悪事件が次々と起こっているのです。

 これを現代の社会病理としてどのように理解すればいいのか? と自分なりの問いを持っていましたが、凶悪事件と宗教がどう結びつくのかについて、『ジハードと死』を読んだら、本当に目を開かれる思いがしました。

哲学の本当の役割

 けれど、極端なことを言えば、哲学はこういう問題を考える学問でもあるのです。

 今、起こっている事柄の本質は、何だろうか。
 世界の姿、世界で今起こっている出来事の姿を、全体として、どのように理解したらいいのか。

『ジハードと死』の著者は、イスラーム教よりもアメリカの銃乱射や、日本でも時々起こる無差別殺人との親和性が高いことを鋭く指摘しています。

 この本では、実行犯の特性を丁寧に見ていく中でそれを論証していくのですが、どんどん変化していく世界を根源から考えていくのが、今まで哲学が果たしてきた本当の役割なのでしょう。そんなふうに思ったりもします。