美しさのカッコよさ
平野 たまたまなんですけど、今年の春にオーストラリアのメルボルンにある、ヴィクトリア国立美術館に行ってきたんです。結構珍しい美術館で、アートとデザインがぐちゃぐちゃに展示されているんです。レンブラントの絵画と、ディオールのドレスが、同じ部屋に並んでいる。
水野 それはいいな。僕も見てみたいですね。
平野 プロダクトもグラフィックもいろいろ交ざっているんですけど、美術館に同じように並んでいると、ドレスもポスターもアートにしか見えない。
作られる時はデザインというその時の目的があるので、飾られるために作られたものとは、一応は分けられるとは思うんです。ただ、さっきのナイキのスニーカーもそうですけど、「絶対に違う」と言えるだけの根拠もない。
水野 これは「美しさのカッコよさ」の話ですよね。美術やデザインはその代表例としてあるもので。
では「美しさとは何か」というと、僕は「機能と装飾の両立」だと思っています。
現代アートはどちらかというと装飾的なものを先行させるけれど、デザインというのは機能を先行させることが非常に多い。日本人の感覚だと、それが今は逆になっちゃっているんですけどね。プロダクトで考えるとわかりやすくて、ナイキの靴もしかりですけど、機能を充実させた後に装飾が乗っかってきて、それが究極の美しさにつながっていく。
平野 あえてそれとは違う理由を考えると、ロマン主義以降のアートは芸術家自身から湧き出てくる内面的なものと考えるのが一般的で、それに対してデザイン、特にグラフィックは、「依頼」から始まるんじゃないかと。レオナルド・ダ・ヴィンチも含めて。
水野 僕は普段は「依頼」という言葉は使いませんが、デザインが他者との関係から始まるというふうには思っています。「デザインをする人」と「デザインを必要とする人」がいて、後者がいて初めてデザインは成立すると考えています。