自然災害の本当の
恐ろしさとは

「忘るまじ、明治の大洪水 68年前の多摩川堤防決壊 貴重な写真に祈り込め 小、中学校などに寄贈 大田の老大工」(読売新聞都民版1979年1月16日)

 しかし、残念ながらその祈りは届かなかった。

 今回の二子玉川氾濫を「こんなことは初めてだ」と嘆く人が多くいるように、多摩川周辺が10年~60年という短いスパンで水害が多発する地域だという事実はスコーンと忘れられ、一部の住民の間では、そんな話はハナから存在しなかったかのようになっているのだ。

 それを象徴するのが今回、河川氾濫が起きてしまった「堤防のない区間」の整備に、反対していた方たちの主張である。国土交通省京浜河川事務所が昨年9月に、住民たちを相手に催した「第3回二子玉川地区水辺地域づくりワーキング」の資料内の「頂いたご意見」には、谷川排水樋管~二子橋という今回氾濫した場所についてどうすべきかということで、以下のような住民の声が寄せられている。

「手をつけない、そもそも何百年に1度起こるかどうかわからない河川氾濫を心配しすぎるのはおかしい 等」

 この認識が誤りなのは、先ほども述べたとおりだ。ただ、深刻なのはこのエリアで「河川氾濫なんて心配しすぎだって」と思っていたのが、「堤防反対派」の住民だけではないということだ。

 今から12年前の2007年9月、実はあとちょっとで今回のような河川氾濫が起きる恐れがあった。台風9号で多摩川の水かさが増して、戦後3番目の水位を記録したのである。

 当時、世田谷区は近くの二子玉川小学校に避難所を開設。「避難判断水位」の8.2メートルを越えた時点で、今回の河川氾濫被害のあった玉川1丁目などの住民1500人に「避難勧告」を出した。FMや防災無線のほか、NHKでも繰り返し流した。

 しかし、避難所を利用したのは5世帯7人だけだった。ちなみに、その8年前の1999年の避難勧告でも、避難所に来たのは2人だけだったという。

 断っておくが、「二子玉の住民は危機意識が薄い」とか「日本人は平和ボケだ」とか主張したいわけではない。この100年ちょっとの間で、繰り返し繰り返し、自然災害に遭って、時には甚大な被害も出ているという「歴史の教訓」があっても結局、人は自分自身で実際に体験してみた範囲の「危険」しか想像することができない。

 このあたりが実は、「自然災害」の本当に恐ろしいところではないか、と申し上げたいのだ。