弱者救済に関する「救護」「保護」という用語は、明治時代を通じて定着していったようだ。1910年代から1920年代になると「生活」と「保護」が組み合わせられ、「生活を保護」あるいは「生活保護」という言い回しが当然のものとして使用されるようになった。

 たとえば米価格が高騰した1918年(大正7年)8月29日の朝日新聞は、帝国鉄道の下級従業員の「生活を保護」するため、「鉄道購買部」が創設され、米を安価に販売する予定であることを伝えている。

 1921年(大正10年)7月1日の読売新聞は、東京の名門私立小学校の校長が「子無し税」を実現するよう、帝国議会に請願したことを報道している。「3人以上の子どもを持つことを納税・兵役と同様に義務化」「子どもを持たない、あるいは2人までしか持たない夫妻には子無し税」「独身者には独身税」「離婚者には罰金」という制度で徴収するお金は、多数の子どもを持つ親に対する「母体保護」のための助成の財源となるという。

 1924年(大正13年)7月22日の朝日新聞は、前科3犯の男性が「前科者と罵られて更生したくてもできない」と涙ながらに訴えたことと、刑余者の「生活保護」を行う組織が発足したことを報じている。

現在の社会保障と根が同じ
「独身税」「子無し税」の愚

「生活保護」という用語は、このようにして「困っている人を守ったり助けたりする」という意味で定着していったようだ。新聞・雑誌の過去記事データベースがなければ、もし「『生活保護』という用語を発明したのは明治天皇だ」というフェイク情報が流通しても、確認のしようがない。記録はまことに重要だ。

 しかし、ここでまた筆者は溜息をついてしまう。物価高騰で暮らせなくなる労働者、子どもを増やすための支援の財源としての独身税や子無し税というアイデア、あまりにも刑余者が生きづらいので累犯者となりがちなこと……。こうした状況は、100年後の現在もあまり変わっていない。相違点は、ライフラインの民営化が進む現在、「国が米を確保し、労働者に廉価販売する」という施策が考えられないこと程度だ。

 この後、大恐慌を契機として1929年(昭和4年)に「救護法」が制定された。権利性の保障はないが、現在の生活保護制度の基本的な骨格は、この「救護法」で定められている。