では、なぜd) e) f)の状態にまで至れないのか。その理由としては、大きく次の2つがあると考えられる。

(1)誰でも皆「火中の栗は拾いたくない」と感じている。
(2)「栗を拾うのは自分の仕事ではない」と思っている。

 それぞれの理由について、もう少し詳しく説明していこう。

(1)「火中の栗を拾いたくない」人は、評論家的になる

 一般論として、誰だって大やけどをするかもしれないなら、あえて火の中に手を入れたくはない。ましてや現状でも自分の仕事が忙しいのだから、さらに新たな負荷を敬遠したい気持ちにもなってくる。すると、「栗を拾う」行為にもますますブレーキがかかってしまう。

 そして、「火中の栗を拾いたくない」という考えを正当化するために、無意識のうちに評論家的な意見を言うようになる。「この方向に進めたらいいんじゃないの?(私じゃない誰かが)」とか「それをやるにはこんなリスクがあるね(だからやめたほうがいい)」「僕はいいと思う(僕はやらないけど)」など、自分の意見や感想を言うだけで、実は(だからやめたほうがいい、僕はやらないけど)などの心の声が強く、主体的に動こうとする姿勢にはならない。

(2)「栗を拾うのは自分の仕事ではない」と思う人は、部分最適の輪から出られない

 前述のように、各部門のはざまにあるような、不明確なものを決めていくのが会議であるため、その業務を自分の仕事の範疇だと考えにくいところはある。ただ、ここで「それは自分の仕事ではない」という感覚を持つ人は、会社の仕事を横断的な視野で捉えられていない。

「会社」という全体に目を向けず、与えられた役割のみを見ている限りは、率先して自分が「火中の栗」を拾いに行く気持ちは湧いてこない。この場合も自分のコンフォートゾーンからあえて出ようという意識を持たないため、(1)と同じように、評論家的な立場から発言するようになる。

 それは本人にとっては一見安全で、安定しているようだが、会社全体で考えてみると、とても危うい状態である。

 会議での「火中の栗」は、誰も拾いに行かなくとも、短期的には顕在化しにくいものが多く、大きな問題にもならないため、危機感を持たずに見過ごしてしまう。しかし、前述のように、企業活動においてはリスクを取って挑戦することも必要で、何もしないままでは、中長期的には市場や競合の変化に対応できず、その会社は衰退していく。そうなることは、デジタルに移行できなかったフィルムメーカーや、規模縮小や閉店が続く百貨店など事例に事欠かない。