ここでは、「美術」とはいわば正反対の教科である「数学」と対比しながら説明させてください。あらかじめお断りしておきますが、私は「数学」が不要だと主張するつもりはありません。あくまでもわかりやすくするために引き合いに出すだけですので、どうかあしからず……。
まず、数学には「太陽」のように明確で唯一の答えが存在しています。
たとえば、「1+1=2」が正しいことは、すでにはっきりしています。個人が勝手に「いや、ひょっとすると『1+1=5』なのかも……」などと疑う余地はどこにもありません。
まだ答えの見つかっていない事柄は山ほどありますが、必ずどこかに揺るぎない1つの答えが存在するというのが、この教科の基本的なルールです。数学はこうした「正解(=太陽)」を〝見つける〟能力を養います。
一方、美術(アート)は数学とはまったく違っています。
数学が「太陽」を扱うのだとすれば、美術が扱うのは「雲」です。太陽はいつもそこにありますが、空に浮かぶ雲はつねに形を変え、一定の場所に留まることもありません。アーティストが探究の末に導き出す「自分なりの答え」は、そもそも形が定まっておらず、見る人や時が異なれば、いかようにも変化します。
子どもは空に浮かぶ雲を飽きることなく眺めながら、「ゾウがいるよ」「あれ? 巨人にも見える」「あ、トリになった!」などと「自分なりの答え」をつくり続けますよね。教科としての「美術」の本来の目的は、このように「自分なりの答え(=雲)」を〝つくる〟能力を育むことなのです。
これまでの世界で圧倒的に支持されてきたのは、前者の能力でした。「数学」は多くの場合、入試科目に入りますが、ごく一部の学科を除けば、受験生に「美術」を課すような学校はありません。
しかし、「どうやらこれだけではまずいことになるぞ……」ということに世の中が気づきはじめています。この背景になっているのが、いわゆる「VUCAワールド」と形容される現代社会の潮流でしょう。
VUCAとは「Volatility=変動」「Uncertainty=不確実」「Complexity=複雑」「Ambiguity=曖昧」の4つの語の頭文字を取った造語で、あらゆる変化の幅も速さも方向もバラバラで、世界の見通しがきかなくなったということを意味しています。
「『敷かれたレールに従っていれば成功できる』という常識が通用しない世界になった」という警句は、以前からずいぶんといろいろなところで聞かれるようになりました。だからこそ、ここ10年くらいは「時代の変化にいち早く対応しながら、『新しい正解』を見つけよう」というのが、お決まりごとのように語られてきたのです。
しかし、現代のようなVUCAの時代にあっては、もはやこのやり方すら役に立ちません。どんなに変化にすばやく食らいつこうと思っても、もはや追いつけないほどに世の中の変動が激しくなってしまったからです。たった1つのテクノロジーが、全世界の枠組みをまるごと変えてしまうようなことも、もはや珍しくありません。
世界が変化するたびに、その都度「新たな正解」を見つけていくのは、もはや不可能ですし、無意味でもあるのです。
ここにさらに追い討ちをかけるのが「人生100年時代」です。私たちはこんな不透明な世界に、これから永きにわたって向き合っていかねばなりません。
なかでも、子どもたちには深刻な話です。なんと「2007年に生まれた日本の子どもの半数が、107歳より長く生きる」という報告もあります。現時点で13歳の人が107歳になるのは西暦2114年、22世紀です。そのとき、いったいどんな世の中が訪れているか予測することはできるでしょうか?
もちろん、大人も事情は変わりません。もはや「これさえやっておけば大丈夫!」「これこそが正解だ!」といえるような「正解」は、ほとんど期待し得ないからです。
そんな時代を生きることになる私たちは、「『太陽』を見つける能力」だけでは、もう生きていけません。むしろ、人生のさまざまな局面で「自分なりの『雲』をつくる力」が問われてくるはずです。
これを身につけるうえで、「美術」という教科ほどうってつけのものはありません。
だからこそ、子どもにとっても大人にとっても、いままさに最優先で学ぶべき教科は、ほかでもなく「美術」であると私は確信しています。