その際に、若者に人気なものを財力にもの言わせて全身そろえるのではなく、どうせだったら若者が知らないものを買ったほうがよほどウケはいい。

 財力にものを言わせるのに抵抗があれば、知的で博識な大人を目指す路線もある。スポーツ新聞や全国紙の三面記事ではなく、せわしない20代や30代ではなかなか読むことのなかった古典や長編小説などを手始めに、できれば少しジャンルを絞って知識を深める。そこにちょっとした大人の作法が加われば、これもまた多忙で欲深い若者としっかり差がつく。

追うべき流行は
何が嫌われているか

 財力や社会的地位の立場のある男が嫌われるのには2つの側面がある。片方が「必要以上に鼻にかけている」であり、もう一方が「誇ればいいのに卑屈になっている」だ。

 会話の中で財力や持ち物を自慢すれば前者となり、せっかくそれなりにある財力も「大したことないくせに」となるのは当たり前だ。

 また、後者も意外と多く、「どうせ俺に寄ってくる女なんて金目当てだろう」とか「俺が社長じゃなかったらモテなかっただろう」と、なぜかせっかくの武器が逆にネックになっている。

「誰も俺の本質を見て愛してくれない」と純愛主義的な意味で絶望する権力者をあまた見てきたが、せっかく後天的に築き上げた自分の武器を悲観していては勿体無いし、そうやってつっかかられると、女としては非常に面倒くさい。

 そして意外にそういう人ほど本格的な金目当ての女に捕まっていたり、恋する相手がキャバ嬢だったりする。

 時代の空気を読む力は年齢とともに衰えるものだが、時の流行というのは2種類ある。1つは、こういう色の服が今年風とか今の女子高生はカラオケで何を歌うとかに代表されるような「今何が好まれているか」という流行。もう1つは、今時亭主関白は嫌だとか不倫報道が多いとかでわかる「今何が嫌われているか」という流行である。

 スマホが使いこなせていないとか、ギャル文字が読めないとか、新しく渋谷にできたビルの名前がわからないとか、そういったことこそが時代についていっていない証し、すなわち「おじさんくささ」だと勘違いする人は多い。

 確かに若者側も、わかりやすく自分が優位に立てる、つまりおじさんをバカにしやすい流行の話などをして、おじさんの無知ぶりで笑いを取るようなことはする。しかし実際に本当の意味で煙たがられるおじさんとは、どんなものが今嫌われているのかを一切理解せずに自分の全盛期の記憶に頼ったままの振る舞いや態度をする人なのだ。

 生きづらい時代になってしまったと悲観するだけではなく、実際に何が嫌がられて炎上したのか、今誰に対して何をするとアウトの警笛がなるのかを観察した方がずっといい。

 そしてそんな時代の空気を読む力は、残念ながら新聞や古典の名著にあたって解決できるものではなく、開いた精神状態でのコミュニケーションからしか生まれない。

「バブルの時代は」「俺たちの頃は」といった自分の生きてきた時代に閉じたような言葉は、嫌われるだけでなく時代の風を感じる機会を自ら逃している。

 下手な若者に対する迎合的な発言やファッションは若者の尊敬を集めない。トレンドを取り入れるのであれば、むしろ、「今何が好まれているか」よりも「今何が嫌われているか」という流行を追うように心がけたほうが双方よほどハッピーである。