学問の世界では
確率をこう考える
不確実性を認めることを、自分の限界、弱さを認めることのように思う人も多い。しかし、私たちの人生は不確実性だらけである。
起こるか起こらないかわからない出来事に対してどう行動すべきかは、その出来事がどのくらい起きやすいか、また起きにくいかをよく考えて合理的に判断しなくてはいけない。
最近、連邦裁判所の判事が、幹細胞研究への資金提供を禁止する裁定を下すという判例があった。幹細胞研究が短期間のうちに人の生命を救う成果をあげる可能性は非常に低い。だが、もし研究が成功すれば、人間の健康に大きな好影響があるのは間違いない。
今後、研究によって何がどのくらいの確率で起きるかを正しく予測できる人であれば、判事の裁定が何千、何万という人たちの生命を救う可能性を潰したとわかるだろう。
どうすれば確率に基づく合理的な判断ができるのだろうか。判事は、実際に何千、何万という人たちを殺したわけではない。
量子物理学でいう「多世界解釈」では、私たちの宇宙は絶えず「なり得る可能性のある」無数の世界へと分岐していっている。つまり、幹細胞研究が何百万という人々の生命を救う世界もあれば、判事の裁定で研究が止まったことにより、その人たちが死んでしまう世界もあるわけだ。
「頻度論者」と呼ばれる人たちは、ある出来事が起きた結果として、どういう出来事がどのくらいの頻度で起きるか、という考え方で確率を計算する。幹細胞研究が進むという出来事が起きた場合、患者の生命が救われるという出来事がどのくらいの頻度で起きるかを考えるわけだ。
量子力学という学問分野では、確率でしか記述できないような事象を扱う。こうなったら必ずこうなるという法則のない事象を扱うのだ。
おもしろいことに、量子力学では、頻度論とベイズ推定を合わせたような考え方で、多数の「存在し得る世界」の存在頻度を推定する。
人はさまざまな理由で死ぬ可能性があるが、そのなかで、たとえば先に書いた判事の裁定が原因でどのくらいの数の人が死ぬと考えられるか、その期待値を確率計算をもとに推測するのだ。
高い期待値が出たからといって、その出来事が必ず起きやすいわけではない。期待値はあくまでも平均値である。ただし、判断、意思決定には有用な情報になるだろう。
リスクに適切な対応をするには、確率に関するさまざまな考え方、確率の計算手法などをよく知っておく必要がある。決して直感に頼って対応を決めてはいけない。
確率計算能力を上げる
最も良い方法とは
確率とは何かを深く理解し、また確率計算の能力を高めるには、おそらくいわゆる「ブックメーカー」の賭けに参加するのが最もよい方法だろう。ブックメーカーは、社会にとってある程度以上重要で、しかも結果が定量化できる出来事であれば、何でも賭けの対象にする。
賭けに当たる可能性を少しでも高めたいと思えば、確率に関する知識やテクニックを少しでも多く身につけたほうがいいだろう。
たとえば、ベイズ推定の基礎でも理解しておけば、それだけで有利になるはずだ。また、確率について詳しくなれば、自分が日々、どのようなリスクに直面しているのかも明確にわかるようになるだろう。未知のリスクに対しても、ただ直感に頼るのではなく、社会への影響の大きさなどを考慮した合理的な推定に基づいて行動を決められるようになる。
私たちはいつかクモに対する過度な恐怖心を克服し、健康への懸念からドーナッツやタバコ、テレビ、そしてストレスの多いフルタイムの仕事などに対して強い嫌悪感を抱くようになるかもしれない。人間の生活の質を上げ、寿命を延ばすための研究のコストが、大きな成果が得られる確率に比して安いと多くの人が認識するときが来るかもしれない。
さらに、これは些細な変化だが、確率に関する言葉の使い方が、この先、今とは違ったものになるかもしれない。「たぶん」、「普通」といった曖昧な言葉ではなく、もっと正確に確率を表せる言葉が一般に使われるときが来る可能性はある。
不確定な状況を前に良い意思決定をするには、集中してよく考える必要がある。しかし、あまり考えすぎると、かえってよくない結果を招くこともある。ただストレスを高め、時間を浪費するだけに終わる恐れもあるのだ。
大事なのはバランスだ。リスクは恐れすぎず、ときには楽しむべきだ。リスクは適度に冒すのが健全とも言える。一度も何のリスクも冒さないまま人生を終えてしまうことこそ、最大のリスクだろう。