『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンス、
『時間は存在しない』のカルロ・ロヴェッリ、
『ワープする宇宙』のリサ・ランドール、
『EQ』のダニエル・ゴールマン、
『<インターネット>の次に来るもの』のケヴィン・ケリー、
『ブロックチェーン・レボリューション』のドン・タプスコット、
ノーベル経済学賞受賞のダニエル・カーネマン、リチャード・セイラー……。

そんな錚々たる研究者・思想家が、読むだけで頭がよくなるような本を書いてくれたら、どんなにいいか。

新刊『天才科学者はこう考える 読むだけで頭がよくなる151の視点』は、まさにそんな夢のような本だ。一流の研究者・思想家しか入会が許されないオンラインサロン「エッジ」の会員151人が「認知能力が上がる科学的概念」というテーマで執筆したエッセイを一冊に詰め込んだ。進化論、素粒子物理学、情報科学、心理学、行動経済学といったあらゆる分野の英知がつまった最高の知的興奮の書に仕上がっている。本書の刊行を記念して、一部を特別に無料で公開する。

クモに噛まれて死ぬ人は1億人に1人もいない<br />――確率計算能力の上げ方Photo: Adobe Stock
著者 ギャレット・リージ
在野の理論物理学者

人は生まれつき
確率を計算できない作りになっている

 私たち人間という生き物は総じて確率が苦手だ。どうやら生まれつき確率が計算できない作りになっているらしい。しかし、私たちは日常生活で、確率が正しく計算できないとうまく対処できない場面に頻繁に遭遇する。

 確率が苦手なことは、私たちの言語にも反映されている。確率が「だいたい50%から100%の間」である状況を示す「たぶん」、「普通」といった言葉はあるが、それ以上正確に確率を表現しようとすると、途端に「70%の確率で」のような妙に堅苦しい言い方しかできなくなる。

 気軽な会話をしているときに急にそういう言葉を使えば、相手は困惑して表情を歪めるだけで、言いたいことはあまり伝わらないに違いない。

 問題は、総じて確率が苦手という人間の弱点をあまり重要視する人がいないところにある。実際には、そのせいで恐ろしい結果を招くことも少なくないのに、それを認識していない。確率が苦手なせいで私たちは恐れなくていいことを恐れ、また誤った意思決定も多くしている。

 たとえば、クモを見たとき、私たちはどういう気持ちになるだろうか。恐怖心を抱く人は多いのではないか。恐れの程度は人によって違うが、だいたいの人は怖いと思うに違いない。

 しかし、考えてみてほしい。クモに噛まれて人が死ぬ確率はどのくらいだろうか。クモに噛まれて死ぬ人は平均して年に4人未満である。つまり1億人にひとりもいないということだ。

 これくらい少ないと、怖がる意味はまずなく、怖がることが逆に害になってしまう。ストレスが原因の病気で亡くなる人は、年に何百万人、何千万人といるだろう。クモに噛まれる可能性、噛まれて死ぬ可能性は非常に低いが、クモを恐れたことによって生じたストレスはあなたの死亡確率を確実に上げてしまう。

なぜ「テロを防ぐため」なら
無茶な政策が許されるのか

 恐怖にしろ喜びにしろ、その感情が不合理なものだと、大きな代償を払わなくてはいけないことがある。

 砂糖まみれのドーナッツを目にしたとき、思わず嬉しくなり、食べたいと思う人は多いだろう。だが、そのドーナッツを食べれば、心臓病になる危険性を高めるなど、健康への悪影響がある。それを考えれば、ドーナッツを見たときに人は恐怖、嫌悪といった感情を抱いてしかるべきだろう。

 ドーナッツを見て恐れるなどというと、バカげていると思う人もいるかもしれない。ドーナッツよりさらに危険性の高いタバコですら、見て恐れるのは妙だと感じる人もいるだろう。しかし、自分の生命への悪影響を考えれば、恐れたり嫌ったりするのが極めて妥当と言えるのだ。

 人間が特に苦手なのが、もし起きたとしたら大変だがめったには起きないという出来事の扱いだ。

 宝くじやカジノが成り立つのは人間のこの性質のおかげだろう。ほかにも同様の例は数多くある。人がテロに巻き込まれて死ぬ確率は極めて低い。しかし私たちは「テロを防ぐため」と言われると、生活の質を著しく低下させるような対策でも受け入れてしまう

 X線全身スキャナーなど、それによってがんになる危険性のほうが、テロに遭う危険性よりもはるかに高いのに、当然のように受け入れる人も多い。これは、クモを必要以上に恐れることに似ているかもしれない。

 クモやテロリストが何をしようが放っておけばいい、何もしなくていいと言っているわけではない。ただリスクを正しく認識して合理的に対処すべきと言っているだけだ。