『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンス、
『時間は存在しない』のカルロ・ロヴェッリ、
『ワープする宇宙』のリサ・ランドール、
『EQ』のダニエル・ゴールマン、
『<インターネット>の次に来るもの』のケヴィン・ケリー、
『ブロックチェーン・レボリューション』のドン・タプスコット、
ノーベル経済学賞受賞のダニエル・カーネマン、リチャード・セイラー……。
そんな錚々たる研究者・思想家が、読むだけで頭がよくなるような本を書いてくれたら、どんなにいいか。
新刊『天才科学者はこう考える 読むだけで頭がよくなる151の視点』は、まさにそんな夢のような本だ。一流の研究者・思想家しか入会が許されないオンラインサロン「エッジ」の会員151人が「認知能力が上がる科学的概念」というテーマで執筆したエッセイを一冊に詰め込んだ。進化論、素粒子物理学、情報科学、心理学、行動経済学といったあらゆる分野の英知がつまった最高の知的興奮の書に仕上がっている。本書の刊行を記念して、一部を特別に無料で公開する。
アリゾナ州立大学社会心理学教授。著書に『野蛮な進化心理学』(山形浩生・森本正史訳、白揚社、2014年)
脳内には複数の「自分」が同居している
自分の頭のなかにはただひとりの「自分」がいる。これを当たり前だと思っている人は多いだろう。ところが、心理学のいくつかの分野における調査により、この考えは幻想にすぎないとわかっている。
頭のなかの「自分」は常に合理的で、自己の利益になるような決断を下しているように思える。いつ電話をしても出てくれず、折り返しても来ない友人、しかも何千ドルも借りておいてまったく返そうとしない友人とは絶交しようと決める自分がいる。
また一方で、飲食店に入って他人の勘定まで払おうとする自分がいる。両者は同じ自分ではない。食事の相手が息子なのか、恋人なのか、ビジネス・パートナーなのかによっても勘定の払い方は違うだろう。場合によって違う自分が顔を出す。
今から30年ほど前、認知科学者のコリン・マーティンデールは、個々の人間のなかに何人もの違った自分が同居していると考え、その考えに当時の認知科学の最新の知見とを結びつけて研究を進めた。
スタバで覚えた人の名前は
スタバにいると思い出しやすい
マーティンデールの理論は、選択的注意、側方抑制、状況依存記憶、認知断絶など、いくつかの基本的要素から成る。
私たちの脳には無数のニューロンがあり、個々が絶えず発火している。これら膨大な脳の動きはバックグラウンドで行われているのだが、仮にそうでなければ、私たちは片方の脚を前に出すという簡単な動作すらできなくなってしまうだろう。
単に街を歩くだけでも、すでに負荷が多すぎるくらいの脳は、同時に大量の情報を受け取っている。周囲には何百、何千という人たちがいて、それぞれ年齢も違えば、言葉遣いも髪の色も肌の色も異なる。服装も歩き方も身ぶりも何もかもが違う。
人だけではない。派手な広告もあるし、歩道には縁石もあって、つまずいて転ばないようにしなくてはいけない。交差点を渡るときには、黄色信号を無視して進入してくる車に気をつける必要がある。しかも、何もかもに注意を向けるわけにはいかないので、注意の対象は厳選しなくてはならない。
神経系が注意の対象を絞り込めるのは、側方抑制という強力な機構があるからだ。側方抑制とは、一部のニューロンが、自分の活動の妨げになりそうなほかのニューロンの活動を抑制する機構だ。これにより、重要な情報を確実に受け取って、進めたい処理を正しく進められる。
この機構があるおかげで、私たちはたとえば、歩いているとき、地面に危険な穴があることに気づける。穴が視野に入ってくると、穴をとらえた網膜細胞は、関連するニューロンの周囲にあるニューロンの活動を抑制させるメッセージを発する。すると、周囲の視野が少し暗くなり、穴が明るく際立って見えてくる。
これは、いわば物の「縁」を際立たせ、認識しやすくするメカニズムだ。これが、より高次の、物の形状を認識するメカニズムと組み合わさることで、私たちはアルファベットの”b” ”d” ”p”を容易に見分けられる。さらに形状認識メカニズムが複数組み合わされば、単語の識別や、文脈による同じ文の意味の違いの認識といったさらに高度な処理もできる(たとえば、「こんにちは。お元気ですか?」と言われただけで、そのあと口説かれるのか、それともセールストークが始まるのかも判断可能になる)。
状況依存記憶は、入ってきた情報をそのときの状況に結びつけて記憶する機能である。たとえば、近所のコーヒーハウスでエスプレッソのダブルを飲みながら知らない人の名前を覚えた場合、その人とスターバックスで再会したほうが、近所のパブでマティーニを飲んだあとに再会するよりも名前を思い出しやすい。以前、私はイタリアに行ったが、帰ってから何ヵ月間かは、ワインを飲むたびにイタリア語を話し、身振り手振りが大げさになった。
なぜ人は矛盾した行動を取るのか
マーティンデールは、こうした能力のために、私たちは日頃から頻繁に軽い「解離性障害」のような状態に陥ると主張する。見方を変えれば、私たちの脳内には無数の「自分」がいるようなものだ。この状態で何かを成し遂げるには、「操縦席」に座れる「自分」を常にひとりにするしかない。そうでないと、私たちはどのような行動も遂行できない。
マーティンデールがこのような理論を考えたのは、今のように進化心理学が盛んになるよりも前だった。しかし、この理論は、同じくマーティンデールが考えた認知モデルと組み合わせるとさらに大きな意味を持つ。彼の認知モデルでは、機能的モジュラリティという概念が重要になる。研究により、動物も人間も物事を認知するのに驚くほどさまざまな手段、方法を利用することがわかった。
脳のなかに情報処理を担う器官がひとつだけあり、それだけがすべての仕事をしている、というわけではない。動物でも人間でも多数のシステムが協調することで、環境に適応するうえで生じる多数の問題に対処している。
頭のなかに多数の「自分」が存在するとしても、その自分ごとに対応する器官があるというわけではない。そうではなく、それぞれに機能が異なっている「自分」が多数存在するのだ。
友人と仲良くすることを担当する自分、自分の身を守る(悪い人間から自分の身を守る)ことを担当する自分。地位を獲得することを担当する自分や、友人を見つけることを担当する自分も存在している(読者のなかには、この種の自分がときにさまざまな問題を生んでしまうのを体験した人もいるだろう)。また、子供が生まれれば、その世話をする自分も生まれてくる。
人間の心が、それぞれに違った機能を持ち、互いに独立した「自分」から成り立っていると考えれば、人間がときに矛盾した行動、不合理な行動を取るのも当然だと思えてくる。
自分の息子に関係する判断を下す際に非常に理性的だった人が、友人や恋人に関する判断に際しては不合理になってしまう。そんなことは十分に起こり得るのだ。