日本国内でジープのノックダウン第1号車が
完成したきっかけとは?

 航空機メーカーよりも規模の大きな流れ作業ラインの工場を持っていた米国の自動車産業は、たとえばフォードはコンドリデーテッド社の15倍というハイペースでBー24爆撃機を量産した。グッドイヤーはタイヤ量産ラインとは別の新工場を短期間で完成させ、開発を担当したチャンスボート社以上のペースでF4Uを量産した。また、イギリスではロールスロイスがイギリス空軍で幅広く使われていたV型12気筒エンジン、マーリンを毎日100基というハイペースで量産した。第2次大戦は工業生産力を総動員した戦争だったが、なかでも工業新興国アメリカの台頭が著しく、イギリスは完全に首位の座を明け渡した。

 こうした産業界の戦争貢献から、有事の際には「アメリカ企業に必要な兵器や物資の生産を命令できる」というDPAが制定された。法成立直後、朝鮮戦争の補給基地としての役割を果たしていた日本でアメリカ陸軍用のジープをライセンス生産する案が持ち上がり、この契約はジープ開発メーカーのウイリス・オーバーランドと新三菱重工業(三菱自動車工業の前身)の間で結ばれた。

 1953年2月に日本国内でジープのKD(ノックダウン)第1号車が完成したが、このきっかけは成立したばかりのDPAだった。また、同様にアメリカの電機メーカー大手、GE(ゼネラル・エレクトリック)は日本の東芝や松下電器に無線機用の真空管などを大量に発注した。これらがいわゆる“朝鮮特需”であり、日本の戦後復興に重要な役割を果たしただけでなく、自動車や家電などの産業基盤が整うきっかけにもなった。

 国防生産法とは物騒な名前だが、生産するのは武器だけではない。新型コロナウイルスの猛威に打ち勝とう!

(報告/牧野茂雄、まとめ/CAR and DRIVER編集部)

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