在宅勤務で高まる「家事の水準」
家事分担を妨げる可能性も…

 そして、もう一つの懸念は、急な在宅勤務で自宅にこもった人々が、「家事の水準」を上げ続けているようにみえることだ。いま、スーパーでは調理器具や高額食材が売れ、お菓子作りキットや玩具の需要が増大している。1日中家にいる子どもを退屈させないように、そして在宅勤務によりできた時間を、料理や育児、教育に回している家庭が多い。また、ウイルス感染防止の観点で自宅の衛生面をいつも以上に気にかけて、掃除や消毒などをこまめに行っている人もいるだろう。

 在宅期間中に、掃除、教育、料理などの水準が上がることで、家庭のQOL(生活の質)は確かに上がるだろう。お菓子作りなどは、走り回りたがる子どもたちをおとなしくさせるための現実的な対処の一貫でもある。だが、問題はそれを実施する主体が「女性」に偏ったまま、その「基準」が上がっていくことだ。

 日本はもともと、世界的に見てかなりの清潔傾向が強い国であるし、朝食から温かい食事を作るように、家事・育児に求める基準値が高い。教育費も親の負担が大きく、トータルで「家庭」がケアしなければならない領域がもともと大きい。そこに輪をかけるように基準値が上がってしまうことは、その実施部分の多くを担う女性の負担を高めることを意味する。

 そもそも平時から、家事の分担が進まない大きな要因として、家庭内で家事に求める「期待値」の調整ができないことが大きい。家事の分担というのは「一定の負担を、男女でシェアする」ような、山分けの構造になっていない。求める水準に対して、そもそも「どこまでこだわるか」によって、「山」そのものの高さが変わる構造になっている。その基準に対して男性側のスキルや経験が追いつかず、結局、女性側から見れば「自分がやったほうが早いし、うまくできる」状況が続く。

 例えば、料理のおいしさ、掃除の行き届き具合、洗濯物のたたみ方に至るまで、夫婦ですれ違い続ければ、男性も「得意なほうに任せたほうが早い」という一見合理的な判断で、性役割分業を再生産し続ける。家事の分担を変えることは、常に「期待値の調整コスト」と秤(はかり)にかけられてしまうのだ。この水準が女性に偏ったまま、さらに上がり続ければ、この構造はますます強化されてしまう。