これについては、図1は「検査実施人数(陰性確認を除く)と陽性率の推移」と書かれていますが、(少なくともこの時点では)陰性確認は除かれていない値である可能性が考えられます。そのように考えないと、このデータ上では、なぜ「陽性者の発生件数」よりもあきらかに多い陽性者数が示されているか理解することができないのです。実際、以前からPCR検査数には、「退院のために行われる2度の陰性確認のためのPCR検査」が含まれている問題が指摘されていたため、「陰性確認を除く」データにしていこうとしている途上なのかもしれません。
もしそうであれば、陰性確認を除いていない部分についての陽性率の低さは、「新規感染者を発見するためのPCR検査数」と「退院のために行われる2度の陰性確認のためのPCR検査数」を合わせたPCR検査数で割られているため、実際よりもかなり低い値になっていることは割り引いて、意思決定の根拠として用いる必要があります。
いずれにしても、読み手がどのような意味として受け取ってよいのかわからないデータになっていること自体が、意思決定の根拠となるエビデンスとして「不備がある」ということになりますので、数値を出すときは、どういう手続きを経てどのように算出されたものなのか算出条件を明示し、読者が読み取ることができるようにしていく必要があるのです。
陽性率が減少“傾向”なのは間違いありませんので、これは技術的な部分を修正すればよいだけのことです。ここでお伝えしたいことの本質は、こうしたエビデンスとしての有効性と限界といったことを吟味できるのは、東京都のサイトがデータを公表しており、また今回の改善で、どのような条件下で得られたデータであるかについてさらに諸条件を明示しているからこそ可能になっているということなのです。
「数値」は
関心と方法により構成される
PCR検査の結果とは、特定の関心と方法(誰がどのような意図を持って誰にどのような方法で検査するか)によって構成された数値ともいえます。たとえば料理にしても、どのような方法で調理するかといった調理過程(条件)によって異なった料理ができますよね?それと同じように、ある「数値」というのも関心と方法によって構成されるものなのです(だからといって完全に恣意的なものということではありません)。
したがって、その数値を得るにいたった諸条件を可能な限り開示することで、他者がその過程を吟味することが可能になり、またさまざまなことを類推することが可能になります。
今回の新型コロナウイルス「感染者数」がどのように形作られているのか、東京都の場合、大きくいえばこういう流れになります。
(1)潜在感染者 コロナウイルスの感染者が発生。ここには無症状、無自覚の人を相応の割合で含みます。
(2)電話相談待機者 特にコロナの症状に該当すると思った人が相談窓口に連絡します。
(3)新型コロナコールセンター相談件数(9万4575件、5月13日累計値)、および新型コロナ受診相談窓口相談数(10万8303件、5月12日累計値)。(2)の一部の人が電話相談、受診までこぎつけられます。
(4)PCR検査実施数(5万1374件、5月13日累計値)(3)の中から保健所や医療機関のスクリーニングによってごく絞られた人がPCR検査を受けることができます。ただしこのPCR検査実施数には「退院するために行われる2回以上の陰性確認検査」が含まれていることから、新規感染確認のためのPCR検査実施数は半減して見積もったほうがよいと思われます。
(5)陽性者判定数(5027人、5月14日累計値)検査を実施した人の中から陽性と判定された人が「感染者」として集計され、報道を通して共有されます(※いずれも数値は東京都サイトより)。
こうしたプロセスを経て「加工」された「結果」が「感染者数」というエビデンスとして開示されているのです。ここから、エビデンスとしての有効性と限界、射程といったものを判断することが可能になります。たとえば、東京都の電話相談待機者数はさらに数万人はいる(いた)のではないか、新型コロナウイルスは無症状の人も多いことを考えれば、潜在感染者は数十万人~100万人ということも考えられる……といった推測をすることも可能になります。
こうしたことから、エビデンスは決して客観的なものなどではなく、特定の関心と方法を通して構成された構造であることがわかると思います(これが構造構成主義のひとつの意味です)。