「データを見る目」を養うことが
危機の回避につながる

 言われてみれば当たり前かもしれません。しかしこれが常識になっていないということは、この結果をもって「感染者は何人になりました」と報道されているところに表れています。「感染者数」と「陽性判明者数」はまったく異なるものです。「感染者数」ではなく「陽性判明者数」と言うべきなのは、この結果は「実態としての感染者の数」を表しているのではなく、数々のスクリーニングを通って得られた「感染判明者数」だからです。

 検査数や陽性率とともに感染判明者数を示すべきという意見は、「科学的」にいっても極めて妥当な指摘といわねばなりません。なぜなら、繰り返しになりますが、感染者数の「意味」は検査数によってまるで違うものになるためです。

 だからこそ、逆にその加工プロセス(条件や方法)を開示することで、批判的に吟味することも可能ですし、その有効性や射程を見定めるためのエビデンス、すなわち意思決定の根拠として使えるようにもなるのです。
 
 そのため理系の研究論文は「問題-目的-方法-結果-考察-引用文献」といったように必ず“方法”が明示されているのです。この型は特に理系の研究者にとっては常識的なリテラシーです。しかし、「読者が批判的に吟味し、知見の有効性と射程を判断できるようにするため」にこのような型が必要とされていることを自覚している人は専門家の中ですらごく限られています。そのため、そうした条件を満たしていないデータサイトが散見されるといってもよいでしょう。

 危機をマネジメントしていくためにエビデンスや研究は欠かせないものとなりますが、その本質を理解していないと、エビデンスや研究の条件を押さえることができず失敗してしまうのです。専門家はもちろんのこと、一般の人もこうしたリテラシーを持っていることで、さまざまなデータを見る目が養われ、危機を適切に回避していくことも可能になります。

(エッセンシャル・マネジメント・スクール代表 西條剛央)

【訂正】記事初出時より以下のように修正しました。2ページ目2段落目:陽性率は0.01%→陽性率は1%(2020年5月19日10:40 ダイヤモンド編集部)