<著者からのメッセージ>

50歳になった日、私は独りだった。子どもたちはすでに独立し、仕事も辞めていた。
その20年前には子どもを産み、会社を立ち上げた。ある男性を愛し、やがて愛せなくなった。その後、別の男性を愛し、また子どもを産み、そしてまた愛せなくなった。
子どもに関しては、以上。愛については、ほぼ5年周期で続けた(20年間で四人だから)。

当時、次の仕事を探していたけれど、見つからなかった。出会いも求めたけれど、こちらもだめ。何もかもがうまくいかなかった。のしかかる孤独、働いていない後ろめたさ、いまの生活のむなしさ、そして、どうやっても若いときのようにはならない体……。
特に思い知らされたのは、常に若さと新しさが求められる社会での、中年層に向けられる視線の厳しさ。就職情報誌でも恋愛雑誌でも、50代女性はお呼びではない。

「50代は人生で一番美しい年齢」なんて、いったい誰が言ったの?
年齢で決めつけられるのは好きじゃない。ましてや、「50代」なんて一言でくくられたくはない。

私が50代と言われて連想するのは、自分の母親世代。それは、いまの自分とはあまりにも違う。周りを見回しても、いまの50代女性たちは、最後の炎を燃やしたいという欲望と、居心地のいい場所に落ち着きたいという願いの間で心を引き裂かれている。
エネルギーにあふれ、忙しく活動している一方で、内には不安を隠し持っている。
私にはそれがよくわかる。私自身、なんとかバランスを保ちながら、綱渡りをしているから。

50歳の誕生日、私は心に決めた。これからはもう誰にも、自分自身に対しても、年齢の話はしない。

50代はひどいことになるかもしれないし、素晴らしくなるかもしれない。あらかじめ準備をしておけば、トラブルが起こってもきっと楽に切り抜けられる。でも、トラブルが起こりそうで起こらなければもっとラッキー。
いまという時代に生まれたのはとても幸せ。栄養がよくなり、化粧品も進化し、生活の質が向上したおかげで、50代の女性は年々若返っている。だから、そこに愛とユーモアチャンスが加われば……ほら、10歳は若返る!
ただそうは言っても、50代の私にとって、悲しいことに、これから迎える春は、過ぎ去った春よりも少ない。だからあまりノスタルジーに浸らず、くよくよしないようにしている。

若さゆえの特権――明け方までパーティを楽しむ体力、飲んだ翌日のさわやかな目覚め、衝動的なセックス、男性との好ましくないおつきあい――なんて、もうなくてもかまわない。残されているものを楽しめばいいだけ。母親世代には手に入らなかった高品質の美容が、50代を新たな40代にしてくれる。

では、そんな50代の若き女性たちは、どう生きればいい?
私が意識しているのは、日常生活や住んでいる街や生きている時代、周りの人々のよいところやさまざまな状況を、それらの一番美しい面が見える
ような角度から眺め、その瞬間を楽しみ、できる限り喜びを伝えること。そしてまた、受け身で心静かな時を過ごすこと。

50代は最高の時間。鋭く切りとった一瞬ではなく、ビロードのようにすべらかな時間が目の前に続く。このゆるやかな加速に身をゆだね、瞬間ごとを生きるのではなく、穏やかに時を過ごしたい。
さまよい、熱中し、戦い、勇気を持つ――50代の若き女性たちがそれらに注ぐまなざしを分かち合いたくて、本書を書いた。
取り上げるエピソードは個人的だけれども一般的で、辛辣だけれどユーモアに満ちている。

本書を、50年という年月の積み重ねの前にとまどっているすべての女性に捧げたい。
さあ、年齢に関するコンプレックスを打ち捨て、首や膝に刻まれた年月の跡を気にせず、全身にまとった贅肉に注がれる他人の視線をはねのけよう。そうすれば、きっとリラックスして、自分が本当にやりたい道を心穏やかに進むことができるはず。

そして、もしもその途中で立ち止まり、家具をどかし、音楽の音量を上げて、テーブルの上で踊りたくなったら、誰が私たちを止められる?

※本原稿は、ミレーヌ・デクロー著『大人が自分らしく生きるためにずっと知りたかったこと』〈吉田良子訳〉からの抜粋です