電卓を禁止する日本
多くの諸外国で「九九の暗記」を強制しないのは、中学に上がれば電卓を自由に使えるようになるという事情も関係しているかもしれない。
アムステルダムに本部を置く国際教育到達度評価学会(IEA)が行った国際学力調査「TIMSS 2015」を見ると、各国の教員に「算数・数学の授業で電卓を使わせるか」と尋ねたアンケートの結果が載っている。
小学校4年生の段階では、日本も含めてほとんどの国が自由には使わせていないのだが、中学2年生になると、電卓を自由に使わせる国が途端に増える。
10歳を過ぎて論理的思考力を育むべき時期にさしかかったら、計算のような単純作業よりも、あーでもない、こーでもないと考えることに時間と能力を割いてもらいたいという現れなのだろう。
そんな中、日本では中学2年生になっても電卓を自由に使わせる教員はわずか6%にとどまっている。日本製の電卓は世界中の学校で使われているのに、日本国内の学校ではほとんど使われていないというのは皮肉な話である。
それでも「九九」を暗記させ、電卓の自由な使用を禁止している国の方が、数学の学力が高いと言えるなら、日本流の教育を貫く意味もあるだろう。
しかし、残念なことにそうはなっていない。先の調査で、最も電卓を自由に使わせている国であるシンガポールや香港は、経済協力開発機構(OECD)によるOECD生徒の学習到達度調査(PISA)における「数学リテラシー」部門の上位常連国である(直近4回の調査でシンガポールは2位→2位→1位→2位。香港は3位→3位→2位→4位。日本は9位→7位→5位→6位)。
また、教育における電卓利用の是非を考える学術研究でも、電卓や表計算ソフトのような計算ツールを活用することで、子どもの概念的な理解力が高まるという報告が多数寄せられている。
日本人が「しちはごじゅろく……」などと言いながら3桁×2桁などの掛け算を筆算する様子は、九九を暗記するという習慣のない欧米人にとっては「呪文かなにか唱えているのか?」と、とても不思議に映るらしい。
そもそも「九九」は中国で始まった。最初に考えた人物は不明だが、紀元前7世紀頃の斉という国の君主桓公(紀元前?年~紀元前643)は、国中から九九を暗唱できる人材を集めたという記録がある。
ちなみに、当時は今とは逆の順番で「九九八十一」から始めていたため、「九九」と呼ばれるようになったらしい。
日本には遅くとも奈良時代には九九が伝わっていたようだ。当時の遺跡から、九九を練習したと思われる木簡が見つかっている。奈良時代の末期に編まれた万葉集にも、「二二」を「し」、「十六」を「しし」、「二五」を「とお」などと読ませる九九の入った歌がある。
現代でも、四六時中(4×6=24より、24時間中→1日中)や十八番(2×9=18であることから、2×9なやつ→憎いやつ→売れっ子役者の芸)、二八そば(2×8=16。昔はそば1杯が16文だった)など、九九は日本語に根深く入り込んでいる。
(本原稿は『とてつもない数学』からの抜粋です)