正解を導くだけの人、問いそのものを生む人
『13歳からのアート思考』には「アートという植物」の話が登場します。7色に光る「興味のタネ」から、巨大な「探究の根」を地中に張り巡らせ、さまざまな色・形・大きさを持った「表現の花」を地上に咲かせている不思議な植物――。
「興味のタネ」は、自分のなかに眠る興味・好奇心・疑問。
「探究の根」は、自分の興味に従った探究の過程。
「表現の花」は、そこから生まれた自分なりの答え。
「アーティスト」としばしば混同されるのが「花職人」と呼ばれる人たちです。「花職人」は、「興味のタネ」から「探究の根」を伸ばす過程をないがしろにして、「タネ」や「根」のない「花」だけをつくる人です。
彼らはたしかに日々忙しく、真面目に手を動かしていますから、ややもすると懸命に「探究の根」を伸ばしているようにも見えます。
しかし、彼らが夢中になってつくっているのは、他人から頼まれた「花」でしかありません。自分たちでも気づかないまま、他人から与えられたゴールに向かって課題解決をしている人――それが「花職人」なのです。
他方、「真のアーティスト」とは「自分の好奇心」や「内発的な関心」からスタートして価値創出をしている人です。
好奇心の赴くままに「探究の根」を伸ばすことに熱中しているので、アーティストには明確なゴールは見えていません。ただし、それらの「根」はあるとき地中深くで1つにつながっていくという特徴があります。
「アートという植物」は、地上で輝く「表現の花」を咲かせているものもありますが、地上には姿を見せずに地下の世界で「根」を伸ばすことを楽しんでいるものがほとんどです。
植物全体として見たとき「花」が咲いているかどうかは大した問題ではありませんし、ましてや「花」が美しいか、精巧であるか、斬新であるかといったことは関係がありません。
その意味で、「アートなんてものは存在しない。ただアーティストがいるだけ」なのです。
「私は奇抜なアイデアを出せないから、アーティストではない」
「私はクリエイティブな仕事に就いていないから、アーティストではない」
こうした考えはすべて、アートの本質が「探究の根」と「興味のタネ」にあることを見落としています。
ここでいうアーティストは、「絵を描いている人」や「ものをつくっている人」であるとはかぎりません。また、「斬新なことをする人」だともかぎりません。
なぜなら、「アートという枠組み」が消え失せたいま、アーティストが生み出す「表現の花」は、いかなる種類のものであってもかまわないからです。
「自分の興味・好奇心・疑問」を皮切りに、「自分のものの見方」で世界を見つめ、好奇心に従って探究を進めることで「自分なりの答え」を生み出すことができれば、誰でもアーティストであるといえるのです。
極論すれば、なにも具体的な表現活動を行っていなくても、あなたはアーティストとして生きることができます。
自分の「根」を伸ばす真の意味でのアーティストとして生きるか、それとも、他人の「花」をつくり続ける花職人として生きるか――それを決めるのは、「才能」でも「仕事」でも「環境」でもなく、あなた自身なのです。