「愛すること」がある人は、何度でも立ち直れる

 アップルの共同設立者の1人であるスティーブ・ジョブズが、亡くなる6年前にスタンフォード大学で行ったスピーチの一部をご紹介しましょう。

 「仕事は人生の大部分を占めます。だから、心から満たされるためのたった1つの方法は、自分がすばらしいと信じる仕事をすることです。そして、すばらしい仕事をするためのたった1つの方法は、自分がしていることを愛することです。もし、愛せるものがまだ見つかっていないなら、探し続けてください。立ち止まらずに」(*2)

 とても素敵なスピーチですが、多くの人はおそらくこう感じるのではないでしょうか。

 「ジョブズのような異才だから『自分の愛すること』を仕事にできただけ」
 「ふつうの能力しかない人は、花職人として生きていくしかないのでは?」

 たしかに、ジョブズは偉大なイノベーターです。しかし、ジョブズはこのメッセージを、彼の大きな挫折のエピソードとともに話しているのです。

 ジョブズが友人のウォズとともに、自宅のガレージでアップルを創業したのは、20歳のときのことでした。それからわずか10年後には、アップルは時価総額20億ドル、従業員4000人以上の大企業へと夢の成長を遂げます。

 しかし、マッキントッシュを発表し30歳を迎えたある日、悪夢が起こりました。新たに就任したCEOとの方針の違いから、彼はアップルをクビになってしまうのです。

 「私の人生のすべてを捧げてきたものが消え失せました。それはひどいものだった」

 アップルからの追放は大きなニュースとなり、負け犬の烙印を押されたジョブズは、シリコンバレーから逃げ去ることも考えます。

 しかし、どん底の数ヵ月が過ぎたころ、彼の心のなかに小さな光が差します。

私は自分がしてきたことをまだ愛していました。アップルでの一連の出来事は、この事実を変えることはできませんでした。拒絶されても、まだ愛していました。だからやり直すことを決めたのです

 やり直しを決めたジョブズは、NeXT続いてPixarを設立します。そして数年後、アップルがNeXTの買収を決めた結果、彼はアップルに返り咲くことができたのです。

 その後のアップルがiMac、iPod、iPhone、iPadといったすばらしい製品を次々と生み出していったことは、多くの人がご存じのとおりです。

 もしも、ジョブズがアップルで成し遂げてきたことの根底に「自分の愛すること」がなかったら、このような大きな喪失から立ち直り、再び新たな「表現の花」を咲かせることはできなかったでしょう。

 これは、波乱万丈なジョブズの人生にしか通用しない話ではありません。

 VUCAといわれる世界で、100年以上の寿命を生きることになるかもしれない私たちは誰でも、いつかどこかで予想もしなかった変化に見舞われたり、まったく見通しのきかない獣道を歩んだりすることになるはずです。

 そんなときでも、「自分の愛すること」を軸にしていれば、目の前の荒波に飲み込まれず、何回でも立ち直り、「表現の花」を咲かせることができるはずです。

 心から満たされるためのたった1つの方法は「自分が愛すること」を見つけ出し、それを追い求め続けること――ジョブズの人生は、まさに、「真のアーティスト」が「興味のタネ」から「探究の根」を伸ばす過程に重なります。

 そのためには、「常識」や「正解」にとらわれず、「自分の内側にある興味」をもとに、「自分のものの見方」で世界をとらえ、「自分なりの探究」をし続けることが欠かせません。

 そして、これこそが「アート思考」の本質なのだと私は思います。

末永幸歩(すえなが・ゆきほ)
美術教師/東京学芸大学個人研究員/アーティスト
東京都出身。武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員として美術教育の研究に励む一方、中学・高校の美術教師として教壇に立つ。「絵を描く」「ものをつくる」「美術史の知識を得る」といった知識・技術偏重型の美術教育に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方を広げる」ことに力点を置いたユニークな授業を、都内公立中学校および東京学芸大学附属国際中等教育学校で展開してきた。生徒たちからは「美術がこんなに楽しかったなんて!」「物事を考えるための基本がわかる授業」と大きな反響を得ている。彫金家の曾祖父、七宝焼・彫金家の祖母、イラストレーターの父というアーティスト家系に育ち、幼少期からアートに親しむ。自らもアーティスト活動を行うとともに、内発的な興味・好奇心・疑問から創造的な活動を育む子ども向けのアートワークショップ「ひろば100」も企画・開催している。著書にベストセラーとなった『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』がある。