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今、教育の現場では、あらゆる学習において、社会に出てからの実用性を重視する実学志向が強まっている。だが、基礎知識や教養、物事を深く考える習慣を身につけさせないのであれば、先の読めない変化の激しい時代を柔軟に生きることは困難だ。『教育現場は困ってる――薄っぺらな大人をつくる実学志向』(平凡社新書)の著者・榎本博明氏は、学校教育の在り方に警鐘を鳴らす。今回はシリーズ4回目で、「欧米に追従する対話的学習」について問題提起する。

対話的学習に偏りすぎてはいないか

 受け身で学習する姿勢を改善し、能動的・主体的な学びが大切だ、とする流れのなかで、対話的学びや討論、プレゼンテーションが導入されるなど、積極的コミュニケーションのスキルを重視する傾向がみられる。これに関しては、前回アクティブラーニングに対する過度な期待に警鐘を鳴らしたが、もう少し考えたい問題がある。

 第一に、個性尊重と言いながら、なぜすべての学習者に対話的学びを強いるようなことをするのかという矛盾がある。内向的な学習者や一人で学ぶことで集中できるという学習者もいる。もちろん話し合う中で気づきが得られるということはあるだろうが、一人の時に思考が深まり、想像力が飛翔するということもある。何が何でも対話的学習をしなければならないということではないはずだ。

 さらに注意を喚起したいのは、教育の方向性を模索する際には、それぞれの国の文化的伝統を十分考慮する必要があるということだ。

 榎本氏は、このところの教育界の動きを見ていると、コミュニケーション力の偏重が著しく、静かな学びの価値があまりに軽視されているように思われる、と危惧する。そうした動きはアメリカの教育を模倣することで生じている。だが、アメリカの教育は、アメリカの文化的な伝統の上に成り立っているものであり、アメリカ的な価値観に基づいて必要とされる能力や人間性を身につけさせるために行われているのである。アメリカの教育は、強く自己主張し、議論で相手を打ち負かさないと生きていけないアメリカ社会で生き抜くすべを身につけさせるために行われているのだということを認識しておくべきだという。