公式を使って解く力よりも
絵解きするプロセスが重要

「500キロメートルの距離を時速100キロメートルで走ると、何時間かかる?」

 こう問われて、「500(距離)÷100(速度)=5(時間)」とすぐ概念化するのは、数学的には正しい。

 しかし小学生なら、まず直線を描き、それを“500キロメートル”と仮定し、端から100キロメートルずつ追っていく。500キロメートルという距離の中に五つの“100キロメートル”が入ることを確認してから「5時間」と答えるだろう。

 もっとも最近は小学校でも、「距離÷速度=時間」の公式を丸暗記させ、この式に代入すればたちどころに解が出る、と教えることが多い。

 ようするに「絵解きするプロセス」は省かれてしまうのだが、こういう教育を続けていては将来、理系分野で力を発揮する若者は育たないかもしれない。

 なぜなら公式を導くまでが、創造性を発揮するプロセスだからである。

 たとえば中学受験ではお馴染みの、「つるかめ算」というのを覚えているだろうか?

「鶴と亀が合計で10匹。すべての足を合計すると28本になる。一体、鶴は何羽、亀は何匹いるだろうか?」

 すでに数学を学んでいるのであれば、連立方程式を使いたくなる。でも、「絵を描く」発想があれば、算数の計算レベルでこれも解けるのである。

 全部鶴だとすると10×2=20本の足が必要になる。ところが8本余っている。そこで2本ずつ鶴に付け加えて亀に変身させる。8÷2=4だから4匹が亀に変わる。変身しなかった鶴は10-4=6の6羽だから、結局、亀4匹、鶴6羽になる。

 私は小学生のころ、鶴が亀に変身するプロセスが理解できなかった。もちろん全部亀だと仮定して2本ずつ足を外してもよい。小学校の先生は、困ったな、と亀が蝶のように鶴に変態する絵を描いたが、すると亀は鶴のさなぎだったのか?

 さらに想像力は広がる。

 たとえば、足が全部で27本だったら、どうするのか? 3本足の亀にするか(サメに食われた)、1本足の鶴にするか(フラミンゴのように足を重ねる)、答えはもっと複雑になる。公式に当てはまらない状況を考えることこそ“型破り”である。

 今の学生は新たな問題に出合うと、まず公式を探す。しかし、自分がその問題に出合った世界で最初の一人だったらどうするか。そこで、ビジュアル化ができれば、初めてぶつかった問題でも対処できる。公式などを覚えるより、数学や物理で本当に身につけたいのは、こうした力なのだ。